カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2012年2月号 

◆ 目次 ◆ -----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 学校経営の視点から
(4) 今月のおすすめ書籍

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◇ 所長だより ◇

「実践的指導力」を高めるための実践記録(実践ノート)
教職教育開発センター所長   吉崎静夫

 今回は、「実践的指導力」を高めるために、自らの実践をリフレクション(省察)して、実践記録(実践ノート)にどのように整理し、そこから「実践知」をどのように獲得するのかについて書いてみます。

 その際、最も大切なことは、個々の授業がもつ特殊性(個別性)を超えて一般化(共通化)できるものは何なのか、あるいは一般化のための条件は何なのか、といった視点を忘れないことです。この点に関して、わが国の教育実践研究をリードしてきた水越敏行氏は、次のような「教育技術のレベルわけ」を提案しています。

 第一のレベルは、「条件通りやれば、いつでも、どこでも、誰にでも再現できて、ほぼ同じ効果が期待できる教育技術」です。それは、一般化できる教育技術であり、定石と呼ばれることが多いものです。

 第二のレベルは、「方法や注意事項などを明記し、図や写真を添えておけば、他の教師に輸出可能(伝達可能)な教育技術」です。それは、条件つきで一般化できる教育技術です。

 第三のレベルは、「教師、子ども、施設などの様々な条件と相互作用をもっていて、直ちには他の教師に輸出(伝達)することが難しい教育技術」です。それは、一般化とは対照的な個性化の色彩が強くなる教育技術であるといえます。

 このような水越氏の提案は、授業設計・実施・評価や学級経営などのすべての教育技術に該当するものであり、実践記録(実践ノート)を整理する際に大いに参考になります。

 さらに、実践記録(実践ノート)をレベルアップさせるためには、PDCAの視点とアクション・リサーチの視点が大切になります。

 前者は、PLAN(計画)→ DO(実践)→ CHECK(点検・評価)→ACTION(改善)のプロセスを実践記録(実践ノート)に整理することを意味しています。

 後者は、「理論(明示化された実践知)」と「実践」のつながりを記述することを意味しています。そして、実践研究から得られた「明示化(言語化)された実践知」を、一定の条件のもとで、他の教師が共有化(実践化)できるように記述することがポイントとなります。例えば、P1→D1→C1→A1→ P2→D2→C2→A2−−−−−−、といった一連のPDCAでいえば、P1とP2をささえる「実践知」は、どのように変容して、どのような条件のもとであれば他の教師が共有化(実践化)できるようになるのかを記述することです。それは、「P1→この教材で、このような働きかけ(説明、発問など)をすれば、子どもはねらいとするような反応(思考、理解、意欲など)をするであろう」から、「P2→この教材で、P1とはまた違った働きかけ(説明、発問など)をすれば、子どもはねらいとするような反応(思考、理解、意欲など)をするであろう」のように、「実践知」が変容することです。

 このように、自らの実践をリフレクション(省察)して、実践記録(実践ノート)に整理することは、「明示化(言語化)された実践知」を獲得するための有力な方法なのです。

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◇ 教育時事アラカルト ◇

“頭髪指導”の憂鬱
教職教育開発センター教授  坂田 仰

 男子中学生の丸刈り校則に対して,訴訟が提起され,社会的注目を集めたのは,1983年のことであった。男子中学生の丸刈りがまだ当たり前と考えられていた時代,居住地や性に基づく差別にあたり,表現の自由を侵害するなどとし,校則の無効を確認する訴訟が提起されたのである。

 これに対し,裁判所は,服装規定等校則は各中学校において独自に判断して定められるべきものである,男性と女性とでは髪形について異なる慣習があり,いわゆる坊主刈りについては,男子にのみその習慣があることは公知の事実であるとして,差別ではなく,合理的な区別にあたると判示している(熊本地方裁判所判決昭和60年11月13日)。

 判決が下されてから30年近くが経過した現在,丸刈り校則は全国からほぼ姿を消したかに見える。しかし,パーマや染髪,脱色等を禁止する校則,いわゆる頭髪指導は今も広く存在する。そればかりか,学校側と一部の生徒・保護者の間で,その指導のあり方を巡る対立が,より先鋭化している。

 例えば,奈良県下の公立中学校において,「極端な段カットやカール,パーマ,染髪脱色等はしない」という校則に基づいて,校内で生徒の髪を染め直させた行為が,人権侵害にあたるとする訴訟が提起されている。

 これに対し,裁判所(大阪地方裁判所判決平成23年 3月28日)は,生徒指導上,問題行動が数多く見られるという学校の事情を重視し,頭髪を脱色・染色したり,化粧やピアスをしたり,服装の乱れが目立つ生徒に対しては,これらの乱れが生徒の問題行動に発展する可能性があることから,頭髪や服装に係る指導に力を入れることに合理性があるとした。そして,これらの生徒指導の目的は,学校教育法等の趣旨に照らしても,もとより正当なものであるとし,学校側の行動を支持する判断を下している。

 ただ,ここで注目する必要があるのは,その結論ではなく,校則や日常的な指導に対して,法的な異議申し立てが行われるようになっているという事実である。校則に違反する染色等に対する校内での染め直し指導に関しては,集団生活における規律の維持や規範を遵守させる目的で行っている学校が少なくない。にもかかわらず,これまで当たり前と考えられてきた指導に対して,生徒や保護者が自らの価値観に照らして,正面から異議を申し立てる。この動きの中に,学校教育の法化現象の進行を見ることができる。学校にとって,“頭髪指導”の憂鬱は深まるばかりである。

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◇ 学校経営の視点から ◇

自らに「問い」・「求める」校長に(一)
教職教育開発センター客員研究員 田部井洋文

 先月号と先先月号の二回にわたり、学校経営者としての校長の姿を自ら振り返る視点について述べました。自己評価の結果はどうだったでしょうか。特に、教職員のモチベーションに火を灯し続ける、という観点からはいかがだったでしょうか。児童生徒の成長・発達を目指したきめ細かな教育活動を日々展開し、その活動を支え高める学校組織の企画運営を具体的に担う教職員のモチベーションを高めることは、校長の重要な任務です。一般に、組織に所属するメンバーがモチベーションを高める時とは、次のような時・場面であるといわれています。

1、自分の成長を感じることができた時・場面  
2、自分がその組織の中で役に立っていると感じた時・場面 
3、自分が適正に評価されていると感じた時・場面  
4、組織の中に目標とする人物ができた時  
5、自分の得意な仕事を任された時・場面(自分の考えている仕事が思い切りできる時)  
6、よりよい人間関係の中で仕事をしていると思える時  
7、所属している組織にいることを誇らしく思えた時

 このような観点から改めて所属教職員一人一人のモチベーションの状況をとらえ直しながら、自らの在り方を振り返ることも必要ではないかと思います。

 ところで、校長職には、児童生徒理解についての卓越した力量も求められると思っています。学級担任とは別の次元から児童生徒の姿を捉え担任等と交換し合い、個々の理解をより深めることが現在はとりわけ重要になっています。そこで、私の経験も含めて以下の5点に心掛けて子どもたちと関わることを校長職は自らに求めてほしいと思っています。

 @「子どもを見る目」でなく、「子どもの見る目」で見る
児童・生徒を理解するには、その子どもの行動をよく見なければなりませんが、それを大人の目から子どもを見る、という見方をするのか、子どもの目になって「子どもはどう見ているのか、どう感じているのか」という見方をするのかによって、全くと言っていいくらい異なることがあります。

 A子どもにとっての意味を問うようにする
子どもたちはその時、その時に様々な行為をします。その行為のその子どもにとっての意味を問うことが重要です。その子のとった他の行為との関連で「その行為」の意味を読み解くことで、その子が見えてきます。校長の捉えた子どもの姿・行為を担任等に伝え、その子にとってのその行為の意味を探る話し合いを適時に行いたいものです。校長室に閉じこもってばかりでは子どもが見えてきません。

続きは、次回に述べます。

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◇ 今月のおすすめ書籍 ◇

〜どの子も安心して暮らせる社会とは 〜
「移民社会フランスで生きる子どもたち」
 増田 ユリヤ著 岩波書店 1900円(税別)

 「私たちの仕事は、どの子にも同じように学力をつけ、自信をもってフランス社会で生きていけるように指導することです」。これは、著者が取材したフランスのある小学校校長の言葉です。一見、普通のことのようですが、この小学校は移民の出入りが激しく、フランス語がまったくわからない子ども含めて12の国籍の子どもたちが学んでいます。本書は、このような学校、教育・職業訓練センター、保護施設、裁判所などで移民の子どもたちを支える人々のルポルタージュです。

 フランスはヨーロッパの中でも多くの移民を受け入れてきましたが、最近はコンゴ共和国やマリ、ルワンダ、イラン、アフガニスタン、カンボジア、パキスタンなどから、内戦など政治的な理由で難民となった少年たちが「未成年亡命者」として命がけでフランスを目指してくるケースが増加の一途をたどってます。アフガニスタンなどアジア方面から来た少年たちは、バスでイラン・トルコへ移動し、なんとゴムボートでエーゲ海を渡りイタリアを経由して入国しますが、途中、国境警備隊や警察に捕まって留置場で何週間も足止めされたり、強制送還されたりと壮絶な旅を繰り返してきます。

 成人の場合、入国後に不法入国・滞在が明るみにでれば強制送還もあり得ますが、フランスでは未成年者は理由に関わらず、ひとたびフランスの地に足を踏み入れれば、誰でも無条件で保護され、学校に通って教育を受けることができます。教師は、子どもが不法滞在とわかっても警察に知らせることなく、その子が安心してフランス社会で暮らせるよう家族の問題を含めて考えていきます。もちろん、「『法』が先か『人権』が先か」といった議論もあり、常に矛盾をはらむ問題ではありますが、「移民を受け入れるのは『文化』であり『伝統』」と言い切る関係者の言葉には「歴史」の重みを感じます。

 今後、国際社会の一員として生きていかねばならない私たちにとっても他人事ではありません。冒頭の小学校校長の深く重い言葉を今一度捉えなおす必要がありそうです。 (関)

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