成瀬仁蔵
生誕150年を迎えて 今年(2008年)は創立者成瀬仁蔵の生誕150年という節目の年を迎えます。成瀬は、1858(安政5)年に現在の山口県山口市吉敷に生まれ、山口県の教員養成所に学び、同郷の先輩であり、宣教師でもあった沢山保羅に導かれ、大阪の浪花教会で受洗しました。梅花女学校(現・梅花女子大学)の主任教師となり、大和郡山教会、新潟教会の牧師として、伝道活動を行った後、新潟女学校を興し、女子教育に尽力します。その後、アメリカに留学して女子教育の研究を行い、本格的な女子高等教育機関の設立を意図して、『女子教育』を出版、女性が人として自立し、活動することを念じて1901(明治34)年に東京目白の地に日本女子大学校(現・日本女子大学)を設立しました。日本で初めての組織的な女子の高等教育機関でした。日本女子大学校の教育として精神教育を重んじ、自学自習を奨励し、生涯学習を主張しました。帰一協会を設立し、世界平和のための活動も行い、1919(大正8)年1月29日、講堂に学内外の関係者を集めて告別講演を行い、同年3月4日に60歳で永眠しました。
本学では、成瀬の生誕150年を記念して以下の事業を開催しました。
5月31日(土)には成瀬ゆかりの深い京都で、日本女子大学フェアを開催いたしま
した。
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