カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2018年2月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 「考える道徳」「議論する道徳」の推進―批判的思考力及び自律性の育成を中心に―


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◇ 所長だより ◇

授業研究における理論と実践の関係(2)
           教職教育開発センター所長  吉崎静夫

 今月は、「授業研究における理論と実践の往還」について考えてみます。
「授業研究における理論と実践の往還」は、「理論を実践に適用すること( theory into practice )」と、「理論を実践を通して発展させること( theory through practice )」に関係があります。それをモデル化したのが、下図です。
 
 図について、「教師期待効果」を例にとって説明いたします。
@ Rosenthal & Jacobson (1968) は、教師が児童生徒の学業成績や行動についてある期待を抱くと、教師は無意識のうちにその期待に沿った行動をとってしまい、その結果として児童生徒の学業成績や行動が教師の期待に近づくという「教室でのピグマリオン効果」仮説を小学校の教室に適用しました。
A その結果、仮説通り、教師の期待にそって、児童の学業成績や知能の変化が認められました。
B しかし、Rosenthalらは、教師がある期待をもつと、児童生徒に対してどのような教室行動をとるのかということを直接的には検証しませんでした。そこで、Brophy & Good (1974) は、教師の期待と教師の教室行動との関係を授業研究で明らかにしようとしました。
C その結果、教師は、意識しないで異なる対応行動をとっていたのでした。そのことが、児童生徒の学習意欲に影響し、さらに異なる学習成果をもたらしました。例えば、主な結果は、次の通りでした。
 (1) 高期待群の児童生徒は、低期待群の児童生徒よりも正答を称賛される割合が高く、誤答を叱責される割合が低かった。
 (2) 高期待群の児童生徒は回答(正答でも誤答でも)に対して何らかのフィードバックが与えられた割合が高かったのに対して、低期待群の児童生徒は回答に対して何らかのフィードバックが与えられる割合が低かった。

 この研究は日常の教室といった自然的条件の下で行われただけに、教育関係者に大きなインパクトをあたえました。まさに、教師期待効果理論は、「理論と実践の往還」を通して発展したのです。

【文献】
○Brophy,J.E. & Good,T.L.(1974) Teacher-student relationship: Causes and consequences.New York: Holt, Rinehart and Winston. 浜名外喜男他(訳)(1985)『教師と生徒の人間関係―新しい教育指導の原点―』北大路書房
○Rosenthal,R. & Jacobson,L. (1968) Pygmalion in the classroom: Causes and consequences. New York: Holt, Rinehart and Winston

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◇ 教育時事アラカルト ◇

対教師暴力を考える
           教職教育開発センター教授  坂田 仰

 ここ数年、教師に暴力を振るった生徒が逮捕されるという記事を見掛けることが多くなった。つい先日も、岐阜県下の公立中学校で、授業を抜け出したことを注意された男子生徒が教師に暴力を振るったとして逮捕されている。昨年10月には、福岡県下中学校で、顔を殴られた教員が殴った生徒を逮捕して話題となった。「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」とする刑事訴訟法213条に基づき、教員が逮捕権を行使した事例である。

 では、学校における暴力行為の現状はどうであろうか。
 文部科学省の調査「平成28年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」結果(速報値)」によれば、全国の国公私立の小・中・高等学校において発生した暴力行為の件数は59,457 件に上る。その内訳は、小学校が22,847 件(前年度17,078 件)、中学校が30,148 件(前年度33,073件)、高等学校が6,462 件(前年度6,655 件)である。小学校における伸びが著しく、暴力行為の低年齢化に拍車が掛かっていると言えるだろう。

 暴力行為の内容としては、「生徒間暴力」が最も多く 39,490 件、これに「器物損壊」の10,593 件が続いている。「対教師暴力」は 8,022 件で第三位である。順位はともかく、全国の学校でこれだけ多くの教員が暴力被害を受けていることには愕然とさせられる。校内暴力全盛期の昭和50年代ならいざ知らず、現在、教員の多くに暴力に対する免疫は存在しない。警察の導入、逮捕という選択肢を考慮するのも無理からぬところとである。

 警察を導入すると、必ずと言ってよいほど、「かわいい教え子を犯罪者のように扱い、警察に引き渡すのか」という批判が巻き起こる。ある種の「教員=聖職者」論だが、学校、教員の社会的権威が大きく損なわれた現在、教員に対して「暴力に耐えろ」と言えるだけの下地は最早存在しないのではないか。

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◇ 「考える道徳」「議論する道徳」の推進   −批判的思考力及び自律性の育成を中心に − ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

第1部 道徳の授業を取り巻く諸課題

9 ジレンマ課題

 8で述べたように、Selmanは、ジレンマを含む社会的な対人場面の物語を子どもたちに提示して、物語の登場人物の立場でその事態や他の登場人物の感情や考えなどを推論する質問を面接法で行い、質問に対する回答の仕方を吟味することで、子どもたちの役割取得能力の質的な相違について検討し、思考の特性や特徴を明らかにしました。 Selman は社会的視点取得の発達を捉える上で、主に「ジレンマ課題」と呼ばれる課題を考案しました(Selman & Byrne,1974) ※1。一例を挙げると、以下のような話を子どもに聞かせ、一連の質問を行い、その回答によって自他の視点の分化及びその調整の発達の度合いを考察したのです。

あきら君は仲良しの太郎君の誕生日に、ボールをあげようか、トラックにしようか迷っています。ちょうどその時むこうから太郎君がやってきたので、どっちがいいか聞いてみようと思いました。 でも太郎君はとても悲しそうでした。「どうしたの?」と聞いたら、「この間、可愛がっていた犬のポチが死んでしまったんだ」と 言いました。あきら君は、「それじゃ新しい犬を飼ったらどうだい? きっと楽しくなるよ」と言いました。でも太郎君は「他の犬は飼う気がしない。犬を見るとポチのことを思い出して悲しくなるんだ」と言って帰ってしまいました。 あきら君は太郎君に何をあげたらいいのか困ってしまいました。 おもちゃ屋さんへ行く途中、あきら君はとてもかわいい子犬を売っているお店を見つけました。(山岸,1981)※2

<質問>
1)あきら君はどうすると思う? どう考えてそうするかな?
2)太郎君が「ほかの犬は飼う気がしない」といったのはどういう気持ちで、どうしてなのかな?
3)犬をあげたら太郎君はどんな気持ちかがするかな? あきら君のことをどう思うかな?
4)犬をあげたら今まで通り仲いいかな、仲悪くなるかな? どうしてそう思うの? 

10 モラルジレンマ資料を活用した道徳の授業

現在、KohlbergやSelmanの理論に基づく道徳の授業の在り方を研究開発している道徳教育の流れがあります。「モラルジレンマ資料」を用いた「モラルジレンマ授業」と呼ばれているものです。授業のねらいは、道徳的葛藤 (モラルジレンマ)を集団討議によって解決に導く過程を通して、児童・生徒一人一人の道徳的判断力を育成し、道徳性をより高い発達段階に高めることです。
「モラルジレンマ資料」とは、「役割取得能力」の面接調査で使用する「ジレンマ課題」(Kohlbergの「ハインツのジレンマ」や「トロッコ問題」)の形式から示唆を得て開発された次のようなものです。

「公園で遊んでいたたかしとひろしが、クモの巣に引っかかってバタバタしているチョウを見つける。チョウを助けたいがクモの目が気になり、にがそうか、どうしようか、迷ってしまった。二人はどうするのが一番いいのだろうか」

 この文章は、「役割取得能力」の調査の際に使用する「ジレンマ課題」としてではなく、道徳の授業の読み物教材として作成されたものです。そして、このような文章を「モラルジレンマ資料」と呼んでいます。
 荒木(2010)※3は、指導の留意点として
「授業では問題解決のモデルとして子どもたちにきちんとジレンマとしてとらえさせ、充分に考えた末、価値選択して判断させることが大切である」
をあげています。
 この「クモの巣とチョウ」の話は、小学校低学年の児童を対象に「動物愛護・生命尊重・思いやり・親切」のテーマで扱われます。この時期の子供の役割取得に関わる発達段階は、8(2)で見たように、自分の視点と他者の視点を区別して理解できるようになり、それを同時に関連づけすることはむずかしいですが、他者の意図と行動を区別して考えられるようになり、行動が故意であったかどうかを考慮するようになると言われています。「笑っていれば嬉しい」といった表面的な行動から感情を予測しがちですが、自分と他人の違いは意識するようになり、社会的な比較もできるようになります。このような発達段階の特徴を踏まえた道徳の指導です。

 モラルジレンマ資料では、ジレンマが重要なのであり、荒木(2010)は、
「モラルジレンマという興味深い資料を使っても、しっかりした価値選択をさせないままに、方法論で考え、判断を求めていると安易なまあまあ主義、妥協主義の子どもを育てることになってしまう。そこで授業では、第三の行動や方法を現実にはとれないことだと了承させた上で、多くの場合に二者択一的に考えさせるようにしている」
と述べています。
 この「クモの巣とチョウ」の話の授業でも、子供たちからは、「先生に相談する」などの第三の方法を考え出すことが予測されますが、教師は、それらの考えが素晴らしいことを認めた上で、今日の話し合いでは、どちらにするかを一緒に考えようと告げます。そして、次に、どちらの行為が道徳的により優れているかを吟味し、判断した結果起こるプラス面とマイナス面を丁寧に検討していくことで、どれを優先すべきかを判断します。一方の価値や行為を選ぶことから起こる様々な弊害を最小限にする努力をしながら、結果としてある特定の道徳的な価値を優先する決断をするという方向性が望ましい指導の在り方とされています。

 しかし、実際の指導場面では、一つの価値や行為を選ぶことが難しいということで、オープンエンドで授業は終わることが多いと言われています。そのような場合、「モラルジレンマの授業で大切なことは、多様な価値観を学ぶことである」とされがちです。「モラルジレンマの授業では、善悪の峻別が曖昧になる」といった意見が多く聞かれるのもそのためです。
「多様な価値観を学ぶこと」が大切であるからといって「病気の妻のために薬屋に盗みに入る」などの違法な行為を正当化するようなことがあってはならないので、モラルジレンマの資料を作成する際は、善悪の価値判断が絡む内容は避けるべきです。Kohlbergの作成した「ハインツのジレンマ」や「トロッコ問題」は、役割取得課題として作成されたものであり、それをそのまま道徳の教材にすることは不適切なのです。(次号に続く)

【文献】
※1 Selman, R. L., & Byrne, D. F. (1974) A structural developmental analysis oflevels of role taking in middle childhood, Child Development 45, pp.803-806.
※2 山岸明子.(1981)「2種の認知的役割取得能力に関する発達的研究」『教育心理学研究』29巻4号、pp.47-51.
※3 荒木紀幸.(2010)「道徳性発達研究会が開発したモラルジレンマ資料」『道徳性発達研究 2010』 第5巻 第1号、pp.1-19 道徳性発達研究会.

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