カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2014年10月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 子どもから学ぶこと
(4) 今月のおすすめ書籍

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◇ 所長だより ◇

専門的な学習共同体(1)
教職教育開発センター所長   吉崎静夫

今月は、近年関心が高まっている「専門的な学習共同体(Professional Learning Community: PLC)」について、理論的リーダーのShirley M. Hord(シェリー・フォード)の考え方を紹介する。

Hord (2008,2009)によれば、「専門的な学習共同体(PLC)」は、教師が定期的に集まったり、協働的に仕事をするために集まる場所を単に意味してはいない。PLCは、「目的をもった協働的な学習のために教師を組織化する方法」である。ところで、この目的をもった協働的な学習とは、すべての生徒が高いスタンダードでの学習に成功できるように、教師の効果性(すなわち、授業の質)を改善することを意図している。したがって、PLCに関連する要因の一連の流れは、@専門的な学習共同体(PLC: Professional Learning Community)→A教師による継続的な専門的学習(continuous professional learning)→B授業(指導)の質(teaching quality)→C生徒の学習(すなわち学校の目的)(student learning)の通りである。

 また、Hord (2007)は、PLCを支える条件として、次の二つの側面を指摘している。それらは、「構造的・物理的条件」と「人間関係的条件」である。そして、前者には@教師が大切な仕事のために一緒に集まることができる「時間とスケジュール」の整備、A人的資源や物的資源、B保護者や企業共同体の理解とともに、地区や州の政策があり、後者には@教師と校長に求められる「協働で学習するスキル」、A教師間での「リーダーシップの分散化」、Bすべての教師・管理職がお互いに対してもつ「信頼」、C他の教師の教室を訪れ、授業を観察して、フィードバックをあたえることがある。

 さらに、Hord (2009)は、PLCが成功するための条件を次のように整理している。

(1)共同体の成員性(Community membership)→専門的な共同体での仕事を組織化する方法には、次の二つがある。一つは、学年あるいは教科チームが毎週定期的に集まって話し合いをすることである。もう一つは、学校の教師全員が少なくとも月に1回(可能であればもっと多く)集まることである。そこでは、学校のデータを研究し、学校目標を明確にさせ、これらの目標を達成するために教師は何を学習しなければならないのかを決定する。
(2)リーダーシップ(Leadership)→共同体での会合を始める際の校長の役割は大切である。「生徒のニーズ」、さらに「教師の学習が生徒の学習にいかに貢献するのか」についての教師たちの協働的な話し合いを促し、支えることが校長の努力の中核にある。
(3)学習のための時間(Time for learning)→会合のための時間を見出し、作り出すために教師の協力を得られるかどうかはまさに校長の役割である。例えば、普段の日の授業時間を15分から20分延長して、週1日は午後の授業をなくして、教師の会合(研究会)にあてる。そのためには、保護者や地区の住民の理解をえる必要がある。これも校長の役割である。
(4)学習空間(Space for learning)→校長はすべの教師が集まる空間を確定しなければならない。ある校長は、すべての教師の教室を順次利用して会合をもつことを考えている。このことは、学習空間を確保するだけでなく、すべての学年や教科の教師が同僚の仕事から洞察をえることができることを意味している。彼(女)らは、この同僚の教育実践や生徒の学習物(作品)の証拠に気づくことになる。
(5)データを用いたサポート(Data use support)→データをレビューし、研究し、解釈することは、専門的な学習共同体の基盤となる。
(6)分散化されたリーダーシップ(Distributed leadership)→校長が勢力と権威を共有化(分散化)させようとすることは、専門的な学習共同体にとって同じように大切なことである。

なお、専門的な学習共同体は、学校研究の中にもっともよく現れるものであり、学校研究の成否を決定づけるものである。そこで、来月号では学校研究の視点から、専門的な学習共同体について検討する予定である。

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◇ 教育時事アラカルト ◇

教育施設の騒音問題
教職教育開発センター教授  坂田 仰

 新しい世紀を迎えて以降,学校と近隣住民のトラブルがとみに増加している。運動部の声出し,ブラスバンドの練習,グラウンドから舞い上がるほこりや,登下校時のゴミのポイ捨てに至るまで,それこそ枚挙に暇がない。だが,正直なところ,教職員がどこまでこの問題と真剣に向き合っているのか。疑問の残る部分もある。例えば,運動部の指導者は,練習時に子どもが大きな声を出すことを,むしろ「好ましいこと」として捉えている。これでは,仮に近隣住民から苦情が寄せられたとしても,真摯な対応や指導が行われるはずがないであろう。

特に深刻なのが,学校の騒音問題である。その一部は,既に司法の場にも持ち込まれている。エアコンの室外機から発せられる騒音が受忍限度を超えているとして,私立学校を経営する学校法人を相手とし,室外機の撤去と,過去及び将来の騒音被害に対する慰謝料の支払いを求めた訴訟である(京都地方裁判所判決平成20年9月18日)。不快感,圧迫感,落ち着かない,立腹しやすい,集中力や思考能力の低下,神経過敏,焦燥感等の症状が出ているといった苦情を受けた設置者は,室外機の音を低減するため,防音壁を設置する等の工事を四回にわたって行った。しかし,近隣住民は納得せず,最終的に訴訟にまで発展したという事案である。

訴訟では,学校教育が有する公共性,公益性を,近隣住民の受忍限度を判断する上でどの程度考慮すべきかが問われることになった。判決は,「人が社会の中で生活を営む以上,他の者が発する騒音に晒されることは避けられないのであるから,その騒音の侵入が違法というためには,被害の性質,程度,加害行為の公益性の有無,態様,回避可能性等を総合的に判断し,社会生活上,一般に受忍すべき限度を超えているといえることが必要である」とし,公共性,公益性を考慮要素に含めるべきとの姿勢を示した。しかし,判決は,学校を騒音規制法2条2項の「特定工場等」に該当するとした。そして最終的に,規制基準を超える騒音を隣地に到達させる行為は原則として不法行為を構成するとし,10万円の慰謝料を支払うことを命じている。

児童,生徒が発する歓声,楽器の音,確かに学校は多くの音を出している。これらを,むしろ「好ましいこと」と捉えてきた,日本社会の学校に対する信頼,郷愁は,既に過去のものとなってしまったのか。やるせない思いが残る裁判である。

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◇ 子どもから学ぶこと ◇

「大人からの学び」
教職教育開発センター客員研究員 木村俊彦

(その1)4月に行われた「新入生を迎える会」での会話です。
校長:1年生と6年生が手をつないで入場してくるこの形をどう感じる?
 私:1年生のかわいらしさと6年生の優しさがマッチしたほのぼの感でしょうか・・・・・
校長:小学校に入学したばかりでも、3月末までは「お兄さん・お姉さん」と言われ頼られていた年長さんだったんだよね。でも4月になった途端、なんにも分からない・できない子ども達と決めつけられるなんて、1年生にはとても失礼で申し訳ない気持ちになるんだよ。
※当時のS小学校には附属幼稚園がありました。園庭には基地があり、それを子ども達自身が釘やのこぎりなど駆使しながら作り修正し続けているのです。校長がよく許可したものだと今でも不思議に思っています。

(その2)運動会の予行練習を終えた後の会話です。
校長:号令台(各種目の指揮などの際に使用)を昇降する時に礼をしている姿を目にしたけど、何のためにしたの?
 私:昨日まで頑張って練習してきた成果をみんなに見てもらいたいという決意を、礼という形で表したんだと思います。意図的ではなく、何となく自然にですね。
校長:感心しながら見ていたんだよ。でも、今日の反省会議では礼のことを職員には伝えないよ。校長がほめたということになると、形だけ真似されてしまいそうだからね。あの光景をたくさんの職員は見ていただろうから、本人が良いと感じれば明日以降の練習から進んで取り入れると思うよ。
※毎週行われていた朝会での校長の話は、すこぶる長いものでした。しかし、子どもも職員も楽しみにしていたのです。そして、話の最後は、決まって、「・・・・・という話がありました。」と結論のない終わり方をしていました。この真意を校長に聞いた時、「どう思うかは聞き手が決めることで、話し手が決めるものではないと思うね」という答えが返ってきました。

(その3)赴任して1ヶ月ほど経過した頃に校長に呼ばれた時の話です。
校長:もう新しい職場には慣れたかな?
 私:全然だめですね。
校長:そうだよね、随分遠慮もしているみたいだし。もしかしたら、一年間様子を見てからなんて考えているのかな。異動1年目だから感じることがたくさんある。それを今表現しなければこの1年間がもったいないし、学校にも失礼だと思うね。君が君らしくなかったら、君を採用した意味もなくなる。1年目だからこその思いや考えを職員に伝えることが必要で、それを決定するかどうかは全職員が決めることなのだから・・・・・

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◇ 今月のおすすめ書籍 ◇
〜改めていじめを考えるために〜
「ある日、私は友達をクビになった―スマホ世代のいじめ事情―」
 エミリー・バゼロン著 高橋由紀子訳  定価1800円(税別) 早川書房

本書は、アメリカのいじめの実態や対策に関するルポルタージュですが、各国のいじめ研究の動向やデータも随所に織り込まれているため、日本の現状とも比較しながら読むことができます。新しい髪型がいじめの標的となり、さらにSNSでの脅迫めいたメッセージで登校できなくなったモニーク(13歳、女子)、自分はゲイだと公言していじめを受け、対処しない学校に対し訴訟を起こしたジェイコブ(13歳・男子)、同じ学校の女子をいじめで自殺に追い込んだとして刑事告訴され、その後も匿名の嫌がらせに悩むフラナリー(16歳・女子)の3人の実話です。
対応が後手に回る学校や行政、それに不信感をもつ親、教師に責任を押し付ける世論、事実を確認せず加害者を糾弾するメディアやネット住人が登場し、いじめをめぐる問題には国を問わず共通点があることが分かります。著者は、周囲の大人たちが複雑にしてしまった事件に対し、本当は何が起きていたのか、加害者や関係者を取材しながら冷静に追っていきます。加害者の子どもたちは、「いじめ」を「ドラマ」(子ども同士に起こりがちな対立)と感じていたり、「ネットいじめ」はリアルないじめの延長にあることなど、取材から見えてくることはすでに日本のいじめ研究でも指摘されることが多いのですが、アメリカでいじめの要因となりやすい同性愛者など性的マイノリティ、宗教、障害者等への配慮は、今後日本でも課題となってくるかもしれません。
「ネットいじめ」に関連して、著者はアメリカでは10代の子どもたちの主要な交流の場となっているフェイスブックの取材も敢行。フィイスブック側の主張は考えさせられる内容でした。いじめ研究は進んでいる日本ですが、アメリカの事例をみることで、客観的に「いじめ」を考える機会となるのではないでしょうか。 (関)

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