カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2014年6月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 子どもから学ぶこと
(4) 今月のおすすめ書籍

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◇ 所長だより ◇

学校研究(その2)
教職教育開発センター所長   吉崎静夫

今月は、埼玉県越谷市立越ケ谷小学校が2002年から本格的実施された「総合的な学習の時間(総合的な学習とも略称)」をその数年前からカリキュラム開発した事例を紹介します。

越ケ谷小学校は、文部科学省の研究開発学校に指定されて、東日本で初めて「総合的な学習」のカリキュラム開発と授業づくりを1997年10月から本格的に行った学校です。筆者は、開発の当初から指導・助言者として参加しました。

この学校の研究成果は、吉崎静夫(監修)・越ケ谷小学校(編)『小学校における総合的な学習の時間の実践』(ゆまに書房)と、3本のビデオにまとめられました。そして、この研究成果は、「越ケ谷小モデル」として全国の小学校の総合的な学習に大きな影響を及ぼしました。例えば、1998年や1999年にはそれぞれ3千人を超える教育関係者が視察や研究発表会に訪れました。さらに、NHK、日本テレビ、TBS、テレビ朝日などのテレビ局が全国版ニュースでこの学校の実践を紹介しました。

ところで、筆者は、上述の本の冒頭で、次のように述べています。

2002年から小学校の教育課程に新設される「総合的な学習の時間」には、指導書も教科書もない。したがって、各学校は「総合的な学習の時間」のカリキュラムを独自に開発し、そのカリキュラムにもとづいて「総合的な学習のための授業づくり」を行う必要がある。では、どのような考え方や方法で、カリキュラム開発と授業づくりを行ったらよいのだろうか。本書では、第1部において、越ケ谷小学校が研究開発学校として「総合的な学習の時間」の実践研究に取り組んできたときに「拠り所としてきた考え方(理論)」を解説し、第2部において、研究開発された活動事例を紹介する。そこで、読者(小学校関係者)にはこれらの理論と活動事例を一つのヒント(手がかり)として学びながら、自分たちの学校では「どのようなカリキュラム開発をするのか」「どのような授業づくりをするのか」を構想してもらいたい。

そして、1997年から8年間にわたる学校研究を通して開発された「総合的な学習のカリキュラムと授業づくり」には、次のような特徴があります。

そのカリキュラムにおいて、学年ごとに共通テーマが設定され、それらの共通テーマのもとで、個々の子どもが自らの興味・関心にもとづいて個別(個人)テーマを自由に設定する方法が採られています。それは、総合的な学習の主要なねらいが「課題発見力」や「課題設定力」にあるからです。ただし、その場合に、初めから子どもに自由にテーマを設定させることは小学生には無理があるという考えが越ケ谷小学校の教師にありました。さらに、「各学年にどのような共通テーマ(各学年に2つのテーマが設定されている)を置くのか」ということを決定される際には、3年生(あるいは生活科の1年生)から6年生までのテーマ間の「つながり」が考慮されました。もちろん、総合的な学習の場合には、国語や算数のような「系列性(シーケンス)」を厳密に考える必要はないが、学年間のつながりはある程度まで教師間で共有されている必要があると考えたわけです。

一方、授業づくりは、35時間程度の単元を中心として、次のポイントを考慮して行われました。

1:個別課題の設定に先駆けて共通体験をさせるのか、それとも最初から自由に個別課題を設定させるのかを、子どもの発達段階やカリキュラム構成を考慮しながら慎重に決定する。
2:学年で共通体験をさせる場合には、その内容をどうするかについて、授業設計(単元構成)ではもっとも多くの時間を割くとともに、他の教師と共同でアイデアを出し合う。
3:単元レベルでそれぞれの学校独自の学習過程を工夫する。ちなみに、越ケ谷小学校では、「ふれる(共通体験の段階)」「つかむ(個別課題の設定と計画作成の段階)」「調べる(課題追究の段階)」「まとめる(成果発表と成果の共有化の段階)」「いかす(成果の実践化の段階)」という5段階の学習過程が開発・実践されました。
4:教科等との連携を意識した授業づくりを行う。
5:日常生活での実践化(行動化)を意識した授業づくりを行う。

そして、越ケ谷小学校の教師たちは、これらの開発研究(学校研究)で培ったノウハウを埼玉県内の学校に広げていきました。

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◇ 教育時事アラカルト ◇

給食費の「未納」と「徴収」
教職教育開発センター教授  坂田 仰

 給食費の「未納」が各地で問題となっている。督促に対して,「義務教育は無償のはず。何故,払わなければならないのか。」等と,開き直る保護者も少なくないという。それどころか,横浜市のように,教員から未納者という笑えない学校も出てくる始末である。モラルの崩壊と言ってしまえば簡単だが,児童・生徒の栄養状態を下支えてきた学校給食が大きな曲がり角を迎えていることは確かである。

 学校給食法は,「学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費」等,給食を実施する上で必要となる基本的な費用は,義務教育諸学校の設置者が負担すべき旨を規定している(11条1項)。だが,食材費等の費用は,学校給食を受ける児童又は生徒の保護者が負担すべきことを明らかにしている(11条2項)。旧文部省によれば,この規定は「設置者と給食を受ける児童の保護者とがそれぞれ分担することを定めた」ものとされている(「学校給食法並びに同法施行令等の施行について」昭和29年9月28日付け文管学第543号)。

 問題は,保護者の負担すべき範囲や,徴収方法,会計処理等を具体的に規定した条項が存在しないことである。その結果,学級費や部費などと同じように,給食費を「私費」扱いにしている学校が少なくない。そして,未納問題への対応を教職員の努力に任せている。だが,給食費の徴収業務は,果たして,教員の職務と言えるのだろうか。

 神奈川県公立学校給食費徴収業務命令訴訟は,この点が争われた事件である(横浜地方裁判所判決平成26年1月30日)。この点について判決は,「児童の教育をつかさどることをその職務の特質とするものではあるものの,教諭の職務がこれに限定されると解することはできず,教育活動以外の管理運営に必要な校務も教諭の職務になるといえ,教員の職務が子供の教育に関係するものに限定されると解することはできない」としている。

 給食は,子どもの健全な発達に資するものであり,食に関する理解,判断力を養う上で重要な役割を果たしている。この点に着目すれば,給食の実施は,教育活動そのものである。だとするならば,給食を円滑に実施する上で不可欠な費用の徴収は,教員の職務と言えなくもないであろう。

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◇ 子どもから学ぶこと ◇

教員の仕事
教職教育開発センター客員研究員 木村俊彦

「子どもの思考は普段非常に常識的であるため、本来持っているはずの豊かな創造力を引き出すには教員のしかけ(指導)が不可欠である」という事例を、2ヶ月にわたって書かせていただきました。

今月は、高学年の図工で扱ったクロッキー(短時間の写生)の学習から学んだもう一つの事例を紹介したいと思います。それは、以下の条件のもとで行った「手」のクロッキー(数多く実践しました)の話です。
(1) 1回2分で3回行う
(2) 3回終わるまで、一切指導を加えない
(3) 消す作業をさせないため、油性ペンを使用
(4) 3回ともポーズを変え、すべて描く本人が決定
(5) 終了後、3枚の中で一番上手に描けたと思う作品に名前を書く

この授業展開で行うと、概ね次のような結果を示します。
(a)ポーズの順番の多くは、手の平 → 手の甲 → その他
(b)名前が書かれる作品のほとんどは、その他のポーズ

どうしてこのような傾向になるのでしょうか・・・・・  その答えは、実に簡単なことでした。平も甲も見て描いてはいなかったのです。なぜなら、手には5本の指があることを当然と思っている子どもにとってはよく見て描く必要がなく、何となく眺めていてもできる内容だからだったのです。しかし、その他のポーズでは指がどのように曲がり見え隠れしているのかの想像がつかないため、この時だけよく見て描いていたのです。よって、「眺めて描いた2つに比べてよく見て描いたその他のポーズに名前が集中することは当たり前の結果であり、決して3回目でたくさん描いたからではない」ということを、子どもとの学習から学びました。回数で上達するのであれば、教員の仕事はもう少し楽になっていますね。加えて、つまらない仕事にもなってしまいそうですね。

さて、この手の平・甲の学習は「左向きの魚(4月号)」や「起立の人間(5月号)」と共通しています。それは、「これらはすべて学習前の状態であり、決して学習成果としての対象物ではない」ということです。このことは、我々教員が自覚しなければならないことではあるのですが、現実は、学習成果として評定・評価していることもたくさん見てきました。一番困っているのはどうして良いのかが分からずにいる子どもなのです。その子どもたちに、(よく見なければ描けないような困り感を持たせること)(魚や人間などの多様な動きに気付かせ、数多くの思いから選択できる学習の広がりを持たせること)を、是非、たくさん試みてほしいと願っています。

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◇ 今月のおすすめ書籍 ◇
〜子どもに伝えたいことはなにか〜
「時間という贈りもの―フランスの子育て」
 飛幡祐規 定価1,400円(税別) 新潮社

本書は、パリ在住の文筆家・翻訳家である著者がフランスにおける子育て体験を綴ったものです。日本の教育システムに反発し、高校卒業後、フランスの大学で学んだ著者は「教育に対しては思い入れが強い」とのこと。そんな著者は、子育てにおいて「自分で考えられる人間を育てるにはどうしたらよいのか」、「子どもに伝えたいことはなんなのか」を考えてきました。就学前、フランスでも流行っているテレビゲームは、著者の家では「世の中にはもっとおもしろいものがある」と禁止。その代わり週末には子どもと楽しめるスペクタクルや展覧会、野外コンサート、動物園、水族館、美術館へ。家では本の朗読や映画やアニメ、オペラなどのビデオを一緒に観賞。作品を解説したり、観た後に「シネ・クラブ」と称して、作品を批評し合ったり。消費経済とは無縁のさまざまな愉しみを息子に伝えてきました。
一方、初等・中等教育学校の様子からは、日本の教育システムとの違いが明らかにされます。例えば、「考える力を育むには」の章で、国語、古典語(ラテン語・ギリシア語)、哲学の教師の話が紹介されます。フランスでは義務教育段階でモリエールやラシーヌ、モーパッサン、ボードレールなど「国民文学」の傑作を読み、授業ではみっちり「分析」や「論評」などを勉強させられます。インターネット時代に生きる現代の子どもたちにとってはやはり退屈なようですが、国語の教師は「文法や分析はテキストを理解するための道具であり、そうした道具を使いこなせれば自分の人生にプラスになることをわかってもらいたい」と語ります。
中等教育の必修科目である哲学教育も日本にはないものです。もともとは市民権を準備するものとして考えられたもので、政治哲学がカリキュラムの大部分をなしているのも特徴だそうです。20年に及ぶ子育てを通して、著者は「ノウハウや試験のテクニックではなく、人生を豊かにしてくれる歓びやさまざまな美しいもの、自分と異なるものを発見するおもしろさを伝えていきたいと願って過ごした時間は、親であるわたしたちにも大きな発見と歓びをもたらし、世界を広げてくれた」といいます。教育の重要性は言わずもがなですが、日本では「人生を豊かにしてくれる歓びや発見」と結びつけて考えているだろうか、と少々寂しいものを感じました。 (関)

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