カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2014年4月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 子どもから学ぶこと(新連載)
(4) 今月のおすすめ書籍

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◇ 所長だより ◇

教師が教育実践記録を書くことの意味(その二)
教職教育開発センター所長   吉崎静夫

 今月号も先月号に続いて、「教師が教育実践記録を書くことの意味」について考えてみます。
 先月号では、今年の柏市教職員教育実践論文の特選論文の一つを紹介しました。

 この論文は、この3月末に退職される校長先生が書かれた「校長による子どもの言語感覚を磨き、鍛え、豊かな言葉の遣い手を育てる指導法の研究―音読、素読、朗読、群読、暗唱の言語活動をとおして表現力を育むー」でした。つまり、これは長年にわたって小学校の国語教育をリードしてきたベテラン教師がまとめた論文でした。

 そして、この論文から、私たちは、「教師はどのようなベテランになっても自らの教育実践を記録(論文)としてまとめて、実践を振り返ることがいかに大切なことか」を学ぶことができました。

 今月は、教職経験10年未満の若手教師の教育実践論文を取り上げて、若手教師にとっても自らの教育実践を記録(論文)にまとめることがいかに大切かを考えてみます。なお、これらの実践論文も「特選論文」として高い評価をうけました。

 これは、教職経験9年目の男性教師が、学級経営の「困難な学級」を「全員の意識を変え、だれもが表舞台に立てる学級」に劇的に変容させた学級経営のヒントが的確に示されている実践論文です。

 この教師が6年生になって担任した学級は、5年生まで単学級でクラスの組み替えがなく、5年間で強固な力関係ができあがっていました。つまり、「一部の強い者に、1年生の時からほとんどの子がいじめを受けてきた。担任がその都度解決しても、時間が経てば、また新たな犠牲者が生まれる。ボス的存在の子を恐れて、自分が被害を受けないように加害者に回る、そんな負のサイクルを繰り返してきた集団であった。」

 そこで、この教師は、「一人一人が自分の意思で行動できる学級づくり」という1学期の学級経営目標のもとで、「最高学年としての意識改革(人任せからの脱却)」「男女の仲の大きな壁の破壊(連帯感や一体感を実感できる学級づくり)」「人間関係のピラミッドの破壊(平等で対等な学級風土づくり)」という3つの学級経営基本方針を立てています。さらに、これらの基本方針ごとに、「戦略」と「具体的な手だて」が構想されています。例えば、「最高学年としての意識改革」という基本方針を実現させるために、「6年生らしく」とは具体的にどのような姿なのかを示すために「最高学年の心構え3ケ条」を学級通信で次のように書いています。
「1. 範を示すーすべてにおいて、その行動を見られる立場となる。良きお手本としての行動が期待される。」
「2. 先頭に立つー他の人に頼らない。一人一人が学校のリーダーである。だれかがやらねばならないことがあれば、自ら一歩ふみ出す。」
「3. 利他に働くー自分のためよりも、人のためを優先する。それは、全て自分に返ってくる。」

 この「最高学年の心構え3ケ条」が、子どもたちの1年間を貫く日常生活の軸となっているのです。その結果、靴箱の靴が見事に揃えられるようになったのです。この変化には、保護者も大変驚いたとのことです。子どもたちの意識が変われば、子どもたちの行動は変わるのですね。

 さらに、この教師は、「全員の子どもとの個別面談を実施する」「授業中、男女隣同士でのペアトークを意図的に入れる」「自主的な係活動を会社と呼び、様々な会社の立ち上げを企画させる」「クラス合唱を4月から始めて、7月の終業式で全校発表を行う」「教師と子どもの心をつなぐツールとして、日記指導を始める」など、次々と様々な手だてを実行に移しています。その結果、1学期4か月間で学級は大きく変容しています。

 そして、2学期にも経営方針、戦略、手だてを構想して、着実に実行しています。特に、2学期は、「だれもが前に立てる学級づくり」を経営方針に掲げて、全員にリーダーを経験させる戦略を練っています。その具体的な手だては、卒業までに行われる各種行事等をすべて洗い出し、その責任者となるリーダーを学級全員に振り分けています。見事な手だてです。

 そして、Q−U調査(学級生活の満足度を測定する全国標準調査)によれば、「学級生活満足群」に入る児童の割合は、20%(5年1学期)→38%(6年1学期)→73%(6年2学期末)と大きな変化をとげています。ちなみに、全国平均は38%です。

 このような1・2学期の学級経営の営みと子どもたちの変容を実践論文にまとめているのです。そして、1・2学期を振り返ることによって、「担任して7か月を過ごし、学級の変容について手ごたえを感じる反面、まだ学級生活に全員が満足していないという面がある。これは、この学級には、まだ伸び代があるということを示している」と、新たな課題を見出しています。実にすばらしい実践であり、実践に対する省察です。

 この例が示しているように、実践論文を書くことは若手教師が自らの教育実践を振り返るよい機会となっています。そして、実践論文を書くことは自らの実践知(実践を支える知識、知恵)を確かなものにさせてくれます。

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◇ 教育時事アラカルト ◇

外国人の子どもと教育−マイノリティの教育権?
教職教育開発センター教授  坂田 仰

 グローバル化の波の中で,日本で暮らす外国人の数が増加している。その中には,当然,就学期の子どもも含まれている。母国と日本,二つの文化の狭間で,子どもの教育をどう考えていくのか,教育関係者にとって避けては通れない課題である。

 この問題と関わって,マイノリティの教育権という考え方が一部で強く主張されている。「公の費用負担のもと,マイノリティとしての教育を受け,マイノリティの言語を用い,マイノリティの文化について積極的に学ぶ環境を享受できる権利」である。国際人権規約自由権規約27条,子どもの権利条約30条,日本国憲法26条1項等を根拠としている。

 だが,現在の法制下において,マイノリティの教育権を肯定することは,いささか困難と考えられる。自由権規約27条,児童の権利条約30条は,締約国に対して外国人を含むマイノリティの教育の「自由」を侵害しない義務を課したものである。教育の自由を超えて,締約国に対して積極的な保護措置を講ずべき義務を課したとものとまでは認め難い。また,日本国憲法26条1項は,あくまでも「国民」の教育を受ける権利が現実に保障されるよう教育制度を維持し,教育条件を整備すべき法的義務を負うことに主たる意味が存在している。マイノリティの教育権をここに読み込むことは,歴史的文脈において相当無理があろう。

 裁判例同様の立場を取るものが存在する(大阪高等裁判所判決平成20年11月27日)。社会全体のグローバリティに伴う在留外国人の多様性を理由として市直轄の支援事業を廃止した事案において,マイノリティの教育権の具体的権利性を否定し,外国人が事業により享受していた利益については,「事実上の利益に過ぎないというべきであり」,本件事業の実施により「受けることのできる教育の給付や便益の程度は行政主体の判断に委ねられるものであり,〔・・・〕何らかの請求をできる具体的な権利が新たに確立され,これが個々の控訴人らに帰属するに至ったということはできない」と判示している。

 政治的スローガンとしては,マイノリティの教育権は大きな意義を有しているのかもしれない。だが,法的主張としては,今のところ未成熟な権利であり,今後の展開を待つ必要があると言えるであろう。

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◇ 子どもから学ぶこと ◇

魚の話
教職教育開発センター客員研究員 木村俊彦

今月から原稿を掲載させていただくことになりました。40年近く勤めた小学校現場で感じたことをお伝えしたいと思います。

第1号は「魚の話」です。学級担任時代どの学年でも必ず行う図工の1時間目の学習です。「好きな魚を指で10秒以内に描きましょう」という簡単な課題ですので、是非、皆さんも一緒にやってみてください。

結果としてどの学年の子どもたちも左向きの魚ができあがりますが、必ず1名(私の経験では1〜4名でした)は右向きの魚が存在します。そして、数名の右向き派は多数の左向き派から「え〜?」という非難の声を受けることになるのです。時には涙を浮かべてしまう姿にも出会います。その後の流れは、だいたい以下のようになります。

T:「たくさんのお友達が言うように、魚は左に向かって泳ぐんだよね。」
C:・・・・・(しばしの沈黙が続き)「右にも泳ぐよ。」
T:「ということは、頭を右に描いた○○さんは正解だね。つまり、魚は右と左に泳ぐんだね。」
C:「違うよ!上や下にも泳ぐの見たことある。えさをあげると上にきてパクパクしたり、底の小石を口に入れたり出したりするよ。」(そう、ある、ある。と、だんだん子どもたちは笑顔で元気になってきます。)
T:「本当だ、先生もそんな魚をよく見るね。つまり、魚は右と左・上と下に泳ぐんだね。」
C:「斜めだって泳げるよ。」(みんなも大きく頷く。)
T:「右に頭を描いてくれた○○さんがいたからこんなにいろいろに泳ぐ魚があることを発見できたんだね。○○さんに拍手!!」

子どもたちの周りに存在する動かない魚(食卓や図鑑の中など)は、ほとんどが左向きの姿を示しています。そのため、発想が豊かであるはずの子どもたちでさえ、無意識の状態では左向きの魚が一番落ち着くのだと思います。(右利きの人にとっては右に頭を描くことがとても困難であることも大いに影響しているのですが・・・)

教頭時代にこの話を保護者の集まりの中でしたことがありました。ある母親から、「自分の小学校時代、教頭先生に担任であってほしかったな。だって、私は正面から魚を描く子どもでしたから・・・」こんなふうに正面から魚を描く子がクラスの中に一名でもいたら、担任としてはラッキーですか? それとも困りますか?

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◇ 今月のおすすめ書籍 ◇
〜 自分も相手も大切にする自己表現〜
「図解 自分の気持ちをきちんと〈伝える〉技術」
 平木典子 定価1,200円(税別) PHP研究所

春は別れと出会いの季節。子どもや保護者、同僚との新たな人間関係が生まれる時でもあります。誰もが気持ちのよいコミュニケーションをとり、より良い人間関係を保ちたいと望んでいるはずですが、常日頃、子どもや保護者の思いや気持ちを受けとめることに心を砕くうち、自分の気持ちがわからなくなったり、気持ちを相手に伝えられずに苦しくなっていませんか。いつの間にか自己表現を控えたり、逆にしすぎたりしているのかもしれません。

本書は「お互いを大切にしながら、率直にコミュニケーションをとるための考え方とスキル」である「アサーション」がテーマです。自己表現には「非主張的」(他者優先)、「攻撃的」(自分優先)、「アサーティブ」(自分のことをまず考えるが他者にも配慮)と3種類あるそうです。

例えば、「子どもが深夜に帰ってきた」場合。「帰ってきたのを見て、何もいわず黙って眠りにつく」(非主張的)、「『一体、今まで何していたんだ!』といきなり怒鳴る」(攻撃的)、「『とても心配したよ。大丈夫?遅くなると電話してほしかったな』と責めるのではなく、しかし、はっきりと自分の気持ちを伝える」(アサーティブ)というわけです。非主張的、あるいは攻撃的な自己表現をとってしまう理由は、「自分の気持ちが把握できていない」「結果や周囲を気にしすぎる」「自分の考えや気持ちを大切にしていない」などですが、著者は多くの人がアサーティブになれない最大の理由は「アサーションのスキルをもっていないこと」と指摘します。であれば、訓練して身につけるまでのこと。

「最近、人づきあいが億劫」、とか「なんだか八つ当たり気味だな」と感じた時、自分を取り戻すことができる一冊です。「自分の怒りをどう処理するか」や「他人の怒りに対応する方法」も参考になります。 (関)

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