カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2013年4月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 学校の風景(新連載)

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◇ 所長だより ◇

学力イメージの大切さ
教職教育開発センター所長   吉崎静夫

 この4月から、高校1年生も新学習指導要領のもとで学習を行います。これで、小・中・高のすべての校種で新教育課程が実施されることになります。

 ところで、PISAやTIMSSといった国際学力調査や文科省が実施してきた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果から、わが国の児童生徒の学力についての一定の傾向が明らかになりました。それは、主に基礎学力をみるTIMSSや全国学力テストのA問題では安定した成績を示しているものの、知識・技能の活用力をみるPISAや全国学力テストのB問題においてはその習得状況に課題がみられるということです。つまり、わが国の「学力低下問題」とは、基礎的な知識・技能(基礎型学力)の問題ではなく、こうした活用型学力の問題だったのです。

 そのような学力の傾向を受けて改訂された学習指導要領では、基礎的・基本的な知識・技能の習得(基礎型学力)と、課題を発見し解決する力(探究型学力)との間に、教科で習得した知識・技能を日常生活場面の課題や他教科の学習で活用する力(活用型学力)を位置づけ、これら3つの学力の相互関係を意識しながら、授業デザインをしていくことが求められています。

 そこでポイントとなるのが、教師がもっている学力イメージです。先生方は、これらの3つの学力(基礎型学力、活用型学力、探究型学力)の関係について、どのようなイメージをもっているのでしょうか。ここでは、典型的な2つのイメージについて述べてみたいと思います。

 1つは、「基礎」の上に「活用」、さらにその上に「探究」というように3つの学力がタテに積み重なる「跳び箱型」のイメージです。それは基礎型学力が十分に習得されてはじめて、活用型学力や探究型学力の育成が可能だという考え方です、そして、その考え方の前提には「学力には順序性や階層性がある」という見方があります。このことは決して誤りではないのですが、そこには問題が同時に存在します。基礎が完全に習得できなければ、いつまでも活用や探究の活動に進むことができないのです。また、活用や探究をめざすことによって基礎の意味が実感できたり、活用や探究から基礎に戻ることによって基礎がしっかりするということが妨げられる可能性があります。

 もう1つは、「基礎」「活用」「探究」がオリンピックの輪のようにヨコにつながる「鎖型」のイメージです。そこでは、ある程度まで基礎(知識・技能)が習得できたらすぐに活用・探究してみて、基礎が足りなければまた基礎の習得に戻るというように、3つの学力を相互に関連づけながら、バランスよく伸ばしていくという考え方が前提になっています。

 これらの「タテ」と「ヨコ」の学力イメージは、どちらかが正しいとは必ずしも言えません。

 というのも、平成23年9月号のメール・マガジンで紹介した、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんは、「カタの効用(つまり、基礎の習得)」について次のように語っています。

 「歌舞伎出身というのが幸せだったと思います。父から、カタができるまでは、他のことに手を出すなと厳しくいわれていました。25歳までは他の世界に染まらずに育ちました。それが基礎となり、以後、いろんなことをやれるようになった気がします。」では、カタは何かという質問に対して、「スポーツのフォームのようなもの」と表現して、次のように説明しています。「役者個人で異なるものですが、劇に対する共通のメソッドがそこに存在します。歌舞伎の世界では、歌や義太夫のけいこなどで、いやが応でもカタを作らされる。自由なものを知る前に不自由なものを教え込まれる。そうすると応用可能なものと、そこから外れるものとの的確な見分けがつくようになるのです。」

 このように、一流の歌舞伎役者になるためには、徹底した基礎の習得が必要なのです。そして、その上での「活用(応用)」なのです。

 しかし、「習得」「活用」「探究」の学習サイクルを基本にする新教育課程の場合はどうでしょうか。やはり、「ヨコ」の学力イメージをもって授業デザインすることが大切なのではないでしょうか。皆様はどのように考えますか。

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◇ 教育時事アラカルト ◇

ネット社会と情報モラル
教職教育開発センター教授  坂田 仰

 埼玉県下の公立高等学校で,300人以上の生徒の成績が流出し,大問題になっている。担任教員が放置したクラス替え用の資料を生徒が携帯電話で撮影し,LINEと呼ばれるソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)を通じて拡散したものである。

 フェイスブックやミクシー等に代表されるSNSは,比較的若い世代を中心に活用されており,高校生や中学生の間でもごく一般的なものになってきている。東日本大震災の際,孤立しがちな被災者をつなぐ役割を果たし,「新しい絆」としてクローズアップされたことは,比較的年配の方にも記憶に新しいところであろう。

 だが,その一方で,SNSに象徴されるネット社会は,情報拡散のスピードが速く,また一度流出した情報を完全に消去することも困難である。そのため,個人情報保護という観点からは,その危険性が極めて高いものとなっている。今回の事件で,埼玉県教育委員会は,第三者による不正使用は確認されていないとしている。しかし,ネット社会が有する負の側面を象徴する例の一つと言ってよいであろう。

SNS等を巡るトラブルは何も埼玉だけのことではない。昨年秋には,和歌山県下の小学校の教員が,フェイスブックに保護者面談で「モンスター・ペアレントをやっつけた」などという書き込み行い,担任から外され,文書訓告を受けるという事件も発生している。また,今年四月には,横浜市の公立中学校で,臨時任用の教員が,クラス編成の資料を縮小コピーして持ち出した上,生徒に漏らし,携帯電話を通じてそれが拡散するという事件が発覚している。

 情報モラルの重要性が学習指導要領においても取り上げられ,その習得の必要性が繰り返し指摘されている。にもかかわらず,それを子どもたちに教える立場にある教員が,情報化の波から取り残されているかに見える。埼玉や和歌山,横浜の事件を反面教師として,ネット社会における個人情報保護の問題をもう一度じっくりと考えてみる必要があるのではないだろうか。

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◇ 学校の風景 ◇

挨拶
教職教育開発センター客員研究員 金本 佐紀子

 雑踏の中で、「先生」と私に声をかけたのは卒業式以来久しぶりに顔を合わすA君であった。「元気でね」と、手を振って別れた後、声をかけてくれたうれしさに自然と笑みがこぼれた。

 あの学年のスタート時、生徒が教員を見る目の中に秘かな不信感を感じることが少なくなかった。最初の教師会で、教員は敵対する大人ではないことを示そうと学年の方針が決定した。そのために、まず、教員たちがお互いに挨拶をしっかり交わそう。そして、生徒に「おはよう」と声をかけようと決め、実践した。努力が実を結び、次第に和やかな雰囲気が学年を包むようになったが、A君は屈強に横を向く少年たちのグループの一人だった。彼の転機は、意外な形で訪れた。

 それは、職場体験学習であった。A君は数ある職種から、飲食店を選んだ。たくさんの皿を洗い、ウエイターもした。体験学習後、さわやかな顔が彼に見られるようになった。何が、そうさせたのだろうか。職場体験学習の目的のひとつは、進んで働こうとする意欲や態度を養うことであるが、彼は、それ以上のもの、心を開くことを学んだのであろう。職場の人間関係を通して。

 自らの変化を照れ隠すように、「だって、店がくれたマニュアルは学校のと同じ。朝、はっきり聞こえるように挨拶しましょうって。俺、悔しいから初日からしっかり挨拶したぜ。そしたら、親父さんが『お、いいな』って言ってくれて、うれしかった」と彼は言った。自らを肯定してもらえる空間が、心地よかったのだろう。挨拶が、彼の成長のきっかけを作ったのである。

 この挨拶運動で、教員も話しやすい関係ができ、結果的に組織力が高まった。挨拶は年齢にかかわらず人間関係の究極の円滑剤なのだろう。今日も、「おはよう」と挨拶を交わせる同僚の存在を大切にし、そこに隠れている宝を共有したいと願っている。

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