カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2019年3月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―


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◇ 所長だより ◇

ICTを活用した授業のデザイン(3)
           教職教育開発センター所長  吉崎静夫

 今号は、「情報活用能力の育成」について考えてみます。

 新学習指導要領において、情報活用能力(情報を収集・整理・発信する能力)は、言語能力、問題発見・解決能力とともに、教科学習等の基盤となる資質・能力であると特記され、教科横断的な視点に立って育成することが求められています。まさに、21世紀の「基礎学力(読み、書き、そろばん)」だといっても過言ではありません。

 では、わが国の児童生徒の情報活用能力の実態はどうなのでしょうか。
 平成25年10月から平成26年1月にかけて、文部科学省はコンピュータを使用した情報活用能力調査を全国規模で初めて実施しました。
 調査対象者は、国公私立の小学校5年生(116校、3343人)、中学校2年生(104校、3338人)でした。主な結果は、次の通りでした。

(1) 小学生、中学生とも、整理された情報を読み取ることはできるが、複数のウェブページから目的に応じて、特定の情報を見つけ出し、関連づけることに課題がある。
(2) 受け手の状況に応じて情報発信することに課題がある。

 これらの結果は、「情報の収集・整理・発信」のすべてにおいて何らかの課題があることを示唆しています。

 私たちは、今の子どもたちは「デジタル・ネイティブ」であって、幼いころからICT機器に慣れているから、当然のこととして情報活用能力は身についていると考えがちです。しかし、現実はそうではないのです。
 したがって、どの学校でも教科横断的な視点に立って、情報活用能力を育成することが不可欠なのです。

 第44回全日本教育工学研究協議会全国大会が、平成30年11月9日・10日に川崎市で開催されました。約1300名の教育関係者が参加する盛会でした。私(吉崎)が大会実行委員会委員長を務めました。

 大会の1日目の午前中に、小学校2校、中学校、高校、特別支援学校各1校による「公開授業」が行われました。
 公開校の1つである川崎市立旭小学校では、「情報活用能力の学年段階表の作成」を行い、授業実践の中で学年段階表の意義を検討しています。なお、同校では、平成30年3月に文部科学省から出された「情報活用能力の体系表例」を参考に、川崎市の情報活用能力チェックリストの内容も反映させて、「情報活用能力・学年段階表」を作成しています。

 そこには、情報活用能力は、いつでもどこでも育成すべきもので、一部の教科や単元で限定的に育てるものではありません、という教師間の共通理解があります。
 しかし、授業の中で「育てたい能力」を意識するために、あえて教科名や単元名が記載されています。
 同校の「情報活用能力・学年段階表」は、3段階からなる「情報活用能力の分類」と、1年生から6年生までの「学年段階」の2つの軸でマトリックスが構成されています。

 例えば、「情報活用能力の分類」では、B(思考力、判断力、表現力等)のもとに、「収集(あつめる)」、「整理、分析、表現、創造(まとめる)」、「発信(つたえる)」の3つの下位カテゴリーがあり、さらに「収集」カテゴリーのもとに、「図書資料、辞典」「教科書、課題」「画像、映像、音声」「観察、実験、体験、見学、日常生活」「インタビュー、アンケート」「インターネット」といった7つの下位カテゴリーがあります。

 とてもよくできた「情報活用能力・学年段階表」であると思います。そして、大事なことは、授業実践を通してつねに学年段階表に改良を加えることです。今後の進展に大いに期待したいと思います。

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◇ 児童・生徒の理解と指導   ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に― ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

<9> 意味のある「沈黙」

 2月号で、1953〜1955年頃の面接ビデオ記録の内容の一部※1を紹介しましたが、そこでは、ロジャーズは、力強く、時として攻撃的とも思える鋭い言葉をクライエントのMiss Munに向けています。
 17回目の面接ということで、互いに深い信頼感があるということも背景にあるのかもしれませんが、読んでいてとても刺激的と思われるやり取りが交わされています。例えば、次のようなやり取りです。

C25: And yet who'd want to love somebody who just...was that sort of wishy-washy person?
(でも、愛したいと思う人がいるでしょうか・・・そんな気の抜けたような人を…)

T25: Who really would love a doormat? (mhm).
(誰が本当に愛するだろうか…「ドアマット」[玄関先の泥落とし]のような人を…)

 また、2月号でも紹介したように、ロジャーズは以下のようなダイレクトな表現をクライエントに向けます。
"I guess you're saying that..."
(私には、あなたが、こう言っているように思えるんです)
"Is this what you're saying? ..."
(つまり、あなたが言っていることはこういうことでしょうか?)

 クライエントの言葉の単なる「反復」「言い直し」ではなく、ロジャーズなりに言葉に変えて、それをクライエントにぶつけています。
 その言葉を受けて、クライエントは、時に数秒から数分に渡る沈黙に入ることがあります。ロジャーズはクライエントの戸惑いを予め計算して仕掛けているような印象すらあります。

 クライエントの沈黙は、ロジャーズの言葉に対してクライエントが戸惑っているのか、熟考しているのか、それとも拒否や反感を示してのかは明らかではありませんが、ロジャーズは、この沈黙を意味あるものとして大切にしました。少なくとも、この時、クライエントは自らの問題と向き合っている(向き合った)からです。

 ロジャーズは、クライエントが自分の問題と向き合わざるを得ない状況を作り、クライエントが口を開くまで何分でもじっと待ちます。
 クライエントがロジャーズの言葉に否定的に反応したとしても、それはクライエントが自ら次の段階に進む可能性を秘めた省察的で創造的な時間であるとロジャーズは考えたのです。ですから、一貫してロジャーズの言葉に指示的・助言的なものはないのです。

<10>セラピーの根底に流れている「人間愛」

 しかし、ロジャーズは冷徹にクライエントを追い詰めているわけではありません。両者の間には豊かな温かさがあるのです。

 ロジャーズ自身が、このMiss Munとの面接後に次のように述べています。 「この面接の最高潮の瞬間を別の言い方で述べるとすると・・・彼女は自分がちょうどいま経験している恐怖と孤独の中を、一緒に歩いてくれる人がいてくれたらという願いに気づき・・・私が彼女と一緒にこうした感情の中を歩いていることを経験したのですが・・・それをもっと一般的な用語で表現してみると・・・そのセラピーで、その個人が経験することは・・・愛されているという経験だと言ってもよいと思います。彼女はその瞬間、紛れもなくそれを経験していたのです。それは、ある種の、所有のない感情です。その愛は、喜んで別の人である他人のために、自分自身のしかたで自分自身の感情を持つというものです。そして、深い、成功したセラピーでは、ほとんどの場合、クライアントは本当にそのことを経験するのだと思います」

<11>終わりに

これまでロジャーズのカウンセリングの理論と実際を考察してきました。
 改めて「セラピー」(カウンセラー)を「教師」に、そして「クライエント」を「児童・生徒」と置き換えて読んでいただきたいと思います。

 そこからは生徒理解の在り方に関する有用な材料を多く見つけることができます。
 教師は、限られた時間や機会において多くの児童・生徒を指導します。
 だからこそ、これまで誤解の多かったロジャーズ理論を今一度振り返ることが大切であると思います。

 ロジャーズの真意を受け止め、改めて児童・生徒を公正・公平に、客観的、多角的・多面的に見取り、児童・生徒の視点を取得し、児童・生徒の「内的照合枠」を心内に構築できる力を日々磨いていくことが重要です。そして、もちろん、生徒指導の基盤には、人間愛があることも忘れてはなりません。(終)

【参考文献】
※1 カール・ロジャーズ著, 畠瀬稔監修, 加藤久子・東口千津子共訳:『ロジャーズのカウンセリング(個人セラピー)の実際』:コスモスライブラリー, 東京, 2007年


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