カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2019年2月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―
(3)教育時事アラカルト


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◇ 所長だより ◇

ICTを活用した授業のデザイン(2)
           教職教育開発センター所長  吉崎静夫

 今号は、「ICTによる外部人材の活用」について考えてみます。
 ところで、授業の中で外部人材を活用することには、どのような意義や役割があるのでしょうか。
 筆者(吉崎)は、「育てたい学力(つまり、外部人材活用の意義)」と「外部人材の役割」について、下表のように整理しました。

【育てたい学力と外部人材の役割】
 
「ICTによる外部人材の活用」の具体例として、つくば市立二の宮小学校の「自然博物館の学芸員」を取り上げます。
 二の宮小学校の毛利先生らは、
「児童が博物館の専門家(植物博士)に気軽に質問できれば、彼(女)らの植物に関する探究心を深めることができるのではないか」
と考えました。
 この実践(小学校4年理科「季節と生き物」)のおもしろさは、「携帯電話を使ったテレビ会議」を通して、県自然博物館(茨城県ミュージアムパーク)の学芸員の方に、児童の質問に答えてもらったり、助言してもらっていることにあります。

 もちろん植物の専門家が地域にいて、教室に来ていただけるならばそれに越したことはありません。しかし、専門家が遠距離の職場に勤務している場合には、教室に来て、子どもたちに直に指導・助言してもらうことは難しいことです。また、たとえ専門家が近距離にいる場合でも、勤務時間の関係で教室に来ていただくことが難しいことがあります。そのような場合にも、携帯電話などのICTを使った「テレビ会議」は、外部人材を活用する有効な方法(手段)となります。

【参考文献】
吉崎静夫:『事例から学ぶ 活用型学力が育つ授業デザイン』:ぎょうせい, 東京, 2008年

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◇ 児童・生徒の理解と指導   ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に― ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

<8> 「共感的理解」の在り方

(5)セラピストは「共感的理解」をどのようにクライエントに伝えるのか

 2018年10月号で、セラピストが共感的理解をクライエントに示すことの重要性を述べました。ロジャーズが1957年に発表した「建設的人格変化のための必要十分条件」の論文の中の5番目と6番目の項目をもう一度見てみましょう。

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(5) セラピストは、クライエントの内的照合枠(internal frame of reference)に対する共感的理解を体験しており、この体験をクライエントに〔伝えようと努めていること〕。v (6) セラピストの体験している共感的理解と無条件の積極的関心が、最低限クライエントに〔伝わっていること〕。
(※上記の〔 〕は筆者による)
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「伝える」ということについて、三國(2015)は、
「《無条件の積極的関心》と同様、《共感的理解》はクライエントに最低限伝わっていないといけない。つまり、カウンセラー側が『自分はクライエントを共感的に理解している』と思っているだけでは、共感的理解でもない」
と述べています。

 坂中・他(2015)は、
「カウンセラーは、クライエントの言葉を用いて、時にはカウンセラー自身の言葉に代えてその理解をクライエントに伝える。(中略)カウンセラーが共感的理解を示すことにより、クライエントが『カウンセラーに分かってもらえた』『知ってもらえた』と感じることが可能となる」
と述べています。
 では、ロジャーズは、どのように伝えていたのでしょうか。
v 『ロジャーズのカウンセリング(個人セラピー)の実際』※1の中で畠瀬稔氏は、次のように述べています。
「今でもはっきりとした記憶が刻印されるように私の脳裏に残っているのは、ロジャーズの応答の力強い響きである。その当時、ロジャーズの面接逐語記録は、英語または邦訳で触れる機会はあったが、音声を伴わない言語記録の限界か、non-directive therapyという名称が普及していたためか、セラピストが『ウン、ウン』と聴くsimple acceptance(簡単な受容)、restatement(内容の繰り返し)、clarification of feelings(感情の明瞭化)といった技法的な先入観が広まっていたためか、これらの予期に反して、このロジャーズのテープ録音は実に力強く、クライアントに深く、全人格的に応答するものであったことの印象が鮮明に残った」

 同書の中からそのようなロジャーズの言葉をいくつか拾ってみましょう。
(Tはセラピストのロジャーズ。CはクライエントのMiss Mun。1953〜1955年頃の面接ビデオ記録から抜粋)

T26: I guess you're saying that to some degree,‘I do blame her for not coping better with my grandmother, and for not...not being more of a person in her own right! (mhm)
(私には、あなたがこのようなことを言っているように思えるんです。「私は母を責めたい。おばあさんともっとうまくやってくれたらよかったのに、もっと...自分の権利を大事にしてくれたらよかったのに」というようなことを)

C27: And just sort of bogging down in the misery of it all. And it was her home, it wasn't my grandmother's home. But you would have thought it was hers, because the whole thing centered around her....
(そして、そんなみじめな状態で身動きできなくなったりしなければよかったのに、と。それに、そこは母の家で、祖母の家ではなかったんです。でも、祖母の家だと思えたでしょうね。何でも祖母が中心でしたから)

T27: Guess you're saying there,‘I really don't like the weakness in my mother'.
(「お母さんの弱いところが本当に嫌だ」とあなたは言っているように思えるんですが)

C28: Mhm.(27 sec. pause)
(ふむ。《27秒沈黙》)

 このように、ロジャーズはかなりの頻度で "I guess you're saying that...."(私には、あなたが、こう言っているように思えるんです)や "Is this what you're saying? ...."(つまり、あなたが言っていることはこういうことでしょうか?)というようなロジャーズなりに言い換えた表現を直接的にクライエントに返しています。

 ロジャーズは、自分の見立てが正しいかどうかをクライエント自身にぶつけて確かめているようにも思える表現をすることによって、クライエント自身の中でもまだ明確になっていない、あるいは明確にしたくないのかもしれないクライエント自身の問題にクライエントがきちんと向き合うようにしているのです。そして同時に、ロジャーズはクライエントへの「共感的理解」を示しているのです。ロジャーズ理論における「非指示的」(non-directive)や「パーソン・センタード」(person centered)の真髄がここにあります。(次号に続く)

【参考文献】
※1 カール・ロジャーズ著, 畠瀬稔監修, 加藤久子・東口千津子共訳:『ロジャーズのカウンセリング(個人セラピー)の実際』:コスモスライブラリー, 東京, 2007年

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◇ 教育時事アラカルト ◇

大津市公立中学校いじめ自殺事件判決を読む
−いじめから自殺への発展−

           教職教育開発センター教授  坂田 仰

 2月19日、滋賀県大津市の公立中学校いじめ自殺事件の民事訴訟で判決が下された(大津地方裁判所判決平成31年2月19日)。いじめの加害者として訴えられた少年3人のうち、2人の責任を認め、約3750万円の損害賠償を支払うよう命じる判決である。事件を契機にいじめ防止対策推進法が制定され、学校現場に大きく影響を与えたケースに、漸く、一つの決着がついたと言える。

 周知のように、大津市が設置した第三者調査委員会は、2013(平成25)年1月、複数のいじめが存在したこと、学校や教育委員会の対応に不備があったこと等を認定し、自殺の直接的原因がいじめにあったことを認めている。報告を受けた大津市は、裁判所の和解勧告に応じた。だが、加害者側は、第三者委員会がいじめと認定した行為はあくまでも「遊び」の延長であり、自殺の原因は家庭等ほかに存在したと争ってきた。その主張が全面的に退けられた格好である。

 大津の事件では、いじめ行為がはじまったとされるのが9月、被害者が自殺したのは10月11日である。その期間が短いことが特徴と言える。自殺に至るプロセスは、その願望が生まれ、それが徐々に蓄積し、実際に自殺に踏み切るとするのが一般的理解である。そのため、願望が生まれてから自殺まで一定の期間を必要とする。にもかかわらず、1か月余りでの自殺をいじめが直接的な原因とした点に留意する必要があろう。

 判決は、「子どもは、心理社会的な未熟さにより衝撃的に行動し、年齢が低いほど死のうと思ってから決行するまでの時間が短い」、このようなケースでは「自殺の条件を加害者側が短時間で整えるという特徴がある」という立場を採った。そして、加害者側と被害者の関係性が急激に変化し、「言動が短期間のうちにエスカレートしていったこと、子どもの場合には、人間関係が家庭と学校を中心とした限られたものになるため、その中で問題が起こると、大人とは比較にならないストレスが生じると指摘されていること」等を考慮し、継続期間の短さは自殺の原因をいじめに求めることの支障にはならないとしたのである。

 学校現場が指針としているいじめ防止対策推進法は、いじめの成立に継続性の要件を採用していない。だが、学校現場では、加害行為の「継続性」を判断基準に加えているところが存在しているとされる(総務省「いじめ防止対策の推進に関する調査〈結果に基づく勧告〉」平成30年3月)。
 今回の判決は、学校現場の姿勢に反省を促し、広くいじめ一般が自殺に繋がるという警鐘を鳴らすものと評価すべきであろう。


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