カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2018年11月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―


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◇ 所長だより ◇

授業研究における理論と実践の関係(9)
           教職教育開発センター所長  吉崎静夫

 今月は、田尻悟郎の英語教育実践を大きく変貌させた「自学システム」を取り上げます。
 田尻実践における「自学システム」は、基本的に次のような流れで行われます。

 (1)家庭での生徒の自主学習→(2)生徒がそれを自学帳(自学ノート)という形で田尻に提出→(3)田尻が提出された自学帳をチェック→(4)田尻が自学帳を生徒に返却。

 そして、田尻の「自学システム」には、「自学のすすめ」「自学帳の使い方」「自学メニュー」「気持ちを引きつけるコメント」といった重要な要素があります。

 まず、「自学のすすめ」は、「自学とは何か」を生徒に説明するものです。そこには、「(略)意味も分からず、強制されたことをするのは苦痛ですが、自分で興味を持ったことや、解決したいことには意欲的に取り組めますね。自学帳はそのためのものであり、単に学力だけではなく、自主性も育ててくれます。自学帳を有効に利用して実りのある学習をしましょう。」といったメッセージが書かれています。

 次に、「自学帳の使い方」には、自学帳の書き方と使い方が詳細に説明されています。例えば、「(略)勉強量は他の教科との兼合いで決めてください。また、毎日自学をしてもよいし、しない日があってもかまいません。(略)」といったことが書かれています。

 そして、「自学メニュー」は、田尻が作成し、何(学習内容)をどのように学習したらいいのか、その方向性を示すものです。なお、生徒には、メニューの中のどれを選ぶのかという自由度が与えられています。まさに、「課題選択学習」です。ここには、「『自由に勉強してきなさい』では、生徒は途方に暮れてしまうし、断片的・断続的な学習になりがちである」という「英語科の自学」に対する田尻の考え方があります。

 さらに、生徒が自学に積極的に取り組むようになるためには、「気持ちを引きつけるコメント」は必要不可欠です。そのために、田尻は次の5つのことに留意しながらコメントを書いています。

(1)何かひと言、ほめ言葉か励ましの言葉を書く。
(2)なるべくたくさん書く。
(3)生徒に質問を投げかける。
(4)コメントに対する返事を求める。
(5)ウイットに富んだコメントを書く。

 そして、田尻は、自学帳に対するコメントの意義について、次のように述べています。
「我々教師は、職員室で忙しく仕事をしているときに生徒に話しかけられると、ついついぞんざいな態度で接してしまうときがある。また、職員室にほめられに来る生徒は少ない。それに対して、自学帳では純粋にその生徒のことを考え、成長を願いつつ、ほめ言葉や励ましの言葉を書くことができる。生徒も一生懸命努力した証である自学に対しては当然ほめ言葉を期待しているのであって、自学帳は『先生に認めてもらえる場』となるのである。生徒と教師が、お互い同じ方向を向いて努力しようとしていることを伝えるために、コメントはとても重要である。」

 田尻実践における「自学システム」を、教育技術論の観点から考えてみましょう。
 @家庭での生徒の自主学習→A生徒がそれを自学帳(自学ノート)という形で教師に提出→B教師が提出された自学帳をチェック→C教師が自学帳を生徒に返却といった「自学システムの流れ」や、「自学のすすめ」「自学帳の使い方」「自学メニュー」といった「自学システムの構成要素」は、他の教師にも伝達可能な「一般的教育技術」ですが、「生徒の気持ちを引きつけるコメント」を書くという教育技術は田尻悟郎という優れた教師がもつ個性的な教育技術だといえます。

【参考文献】
※1 田尻悟郎監修,横溝紳一郎編著:『生徒の心に火をつける ―英語教師田尻悟郎の挑戦―』:教育出版,東京,2010年

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◇ 児童・生徒の理解と指導   ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に― ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

<8> 「共感的理解」の在り方

(1)「クライエントの内的照合枠」を構成する
本論文では、セラピストにとってクライエントの「共感的理解」に必要なことは、セラピストは自己の内的照合枠※の外側に、あるいは並列的に、クライエントの内的照合枠を自己のものとは別に構成する(設ける)ことと考えます。そして、注意すべきことは、セラピストが自己の内的照合枠の内部にクライエントの内的照合枠を組み込むことで本来セラピストが持っていた内的照合枠を改変することではないということです。もし、セラピストがクライエントを理解するために自身の内的照合枠を改変してしまうならば、それはロジャーズの言うように、同一視の一つになってしまいます。(4月号で述べた「同調」や「共有」と同じ危険性です。)

「同一視」にならないように、ロジャーズは「共感的理解」の在り方に明確な規定を設けています。
 その一つが「自己一致」です。自分自身を見失わず揺るぎのない自己を持ち続けるということです。また、ロジャーズは揺るぎのない自己を持ち続けるための方策として、as if(あたかも、かのように)の概念を打ち出しました(10月号参照)。

 ロジャーズ(1957)は、セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件のうちの「第5条件」として「共感」(Empathy)を挙げ、次のように述べています。
「治療者が、クライアントが自分自身の体験に関して気づいていることについて、正確な共感的理解を体験していること、である。クライアントの私的な世界を、あたかも自分自身の私的な世界であるかのように、感じ取る(sense)こと、しかし、決して『あたかも、かのように』という特質を失わないままで、そうすること−これが共感であり、そしてこれは治療に不可欠のようである。クライアントの怒りや怖れや混乱を、あたかも自分自身のものであるかのように、感じ取ること、しかも、自分自身の怒りや怖れや混乱を、そこに混入(bound up in)させないようにしたままで、そうすること、これが私たちが記述しようとしている条件である。クライアントの世界が、治療者にとってこれほどの明確さを持ったものとなり、治療者がその世界の中を自由に動き回るようになると、治療者は、クライアントが明瞭に分かっていることについての治療者の理解を、コミュニケートすることができ、クライアントがほとんど気づいていないクライアント自身の体験の意味を、言い表すこともできる。」
と述べています。

 また、ロジャーズ(1959)は、
「共感という状態、ないし、共感的であること、は、他者の内的照合枠を、正確さをもって、すなわちそこに付与されている情緒的内容や意味とともに、あたかもその人であるかのように、知覚する(perceive)こと。しかし、『あたかも、であるかのように(as if)』という条件を決して失わずに、そうすること。すなわち、他者が感じる(sense)ように、痛みや喜びを感じ(sense)、それらの情緒を引き起こしているものを、他者が知覚している(perceive)ように、知覚する(perceive)こと、しかし、決して『あたかも』自分が痛んだり喜んだりしている、ということの認識を失わないこと、を意味する。もし、この『あたかも、かのように』という特質が失われるならば、それは同一視の一つの状態である。」
と述べています。

 ロジャーズは、クライエントを理解するためには、クライエントの内的照合枠を自己の内に取り込むことが重要であり、その中でクライエントが感じるように痛みや喜びを体験することが重要であるとします。
 しかし、セラピスト自身の内的照合枠は変えることなく持ち続けることが不可欠であるとしています。
 セラピストには、セラピーにおいて、自己の内的照合枠は保ちつつ、新たに取り込んだクライエントの内的照合枠の中に身を置きながら、クライエントの私的な世界をあたかも自分のもののように体験し、クライエントへの暖かな眼差しを持ちつつ客観的にクライエントを理解していくことが求められるのです。次号では、クライエントの内的照合枠を、セラピストは自身の中にどのように構成するかについて述べます。
(次号に続く)

※内的照合枠 (internal frame of reference)
 9月号でも述べたように、個人がなぜその思考・判断・感情等を持つのか、その基準となる心的な枠組みのことです。
 例えば、ある事象が起こった時に、それに深く関わるその人の過去の感情や記憶、知識等がその時に反応して結びつき枠組み(flame)となり、それが、その事象についてのその人の思考・判断・感情等の基準となるという考え方です。その人の「ものの見方・考え方」「視点」あるいはその原点となるものと言い換えることができるものです。
 ロジャーズは内的照合枠を、1957年の論文では「私的な世界」、1959年の論文では「個人の主観的な世界」、1975年の論文では「私的な知覚世界」とも言い換えています。


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