カモミールnetマガジン バックナンバー(ダイジェスト版)

 2018年6月号 

◆ 目次 ◆ ----------------------------------------------------------------------

(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―
(3)教育時事アラカルト


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◇ 所長だより ◇

授業研究における理論と実践の関係(4)
           教職教育開発センター所長  吉崎静夫

 わが国の授業研究をリードしてきた水越敏行(1987)は、独自の教育技術論を展開しています※1。

 水越によれば、いつでも、どこでも、誰にでも使える「一般化できる教育技術」と、他の何人たりとも簡単には真似ることのできない「個性化の色彩が強い教育技術」が緊張した共存関係にあるということです。つまり、「一見した所、全く逆方向に働く2力があって、この両者が互いに、緊張関係を保ちつつ、しかも一方を前提としてこそ他方も成り立つという『デュアルな関係』にある。これが技術の本質なのであろう」ということです。
 そこで、水越は、教育技術のレベル分けを提案しています。

 第一のレベルは、「条件通りやれば、いつでも、どこでも、誰にでも再現できて、ほぼ同じ効果が期待できる教育技術」です。
 それは、「一般化できる教育技術」であり、定石と呼ばれていることが多いのです。

 第二のレベルは、「方法や注意事項などを明記し、図や写真を添えておけば、他の教師に輸出可能(伝達可能)な教育技術」です。
 それは、「条件つきで一般化できる教育技術」です。

 第三のレベルは、「教師、子ども、施設などの様々な条件と相互作用をもっていて、直ちには他の教師に輸出(伝達)することが難しい教育技術」です。
 それは、一般化とは対照的な「個性化の色彩が強くなる教育技術」です。

 ところで、5月号では、一般的な指導の方法や型が、まさに「実践の中で生まれる理論」であると述べました。ということは、「実践の中で生まれる理論」は、水越が提唱している「第一レベルの教育技術(一般化できる教育技術)」と「第二レベルの教育技術(条件つきで一般化できる教育技術)」ということになります。
 これらのことを具体的な教育技術を例に挙げながら考えてみましょう。

 わが国の国語教育界に多大な功績を残した大村はま(1973)は、名著『教えるということ』の中で、書かせる工夫の例を挙げています※2。

「まず、子どもに聞かせる話を考えます。内容を適当なところ三か所ぐらいで切っておいて、子どもには三つのわくをとった紙を配っておきます。
『これからお話ししますから(中略)お話を途中で切ったら、その時に心に浮かんでいることを書きなさい。どういうふうにでもよいから。練習ですから、上手下手はなし。私が話をやめたときに、心に浮かんでいることを二、三分で文字にする。そういうふうに今日はしましょう。』と言って話し始めます。どんな話を、どんなところで切って話すか、そこが先生の腕前です。必ず思うことがあるという話でないと教材になりません。また、書くことがあふれ出てくるような、うまいところで切らなければだめです。必ず何か思うようなところで切るのです」

 この「書かせる工夫」は、水越が提唱している「第一レベルの教育技術(一般化できる教育技術)」から見れば、
@子どもに聞かせる話を考える(または、聞かせる話を探してくる)
A話の内容を適当な3カ所ぐらいで切っておく
B話を読みながら、あらかじめ切っておいた箇所で話を中断させる
C中断した箇所で心に浮かんだことを自由に2、3分間で書かせる
ということになります。

 確かに、これらの手順は、他の教師に伝達可能なものです。
 しかし、題材の選び方、話し方、切り方ということは、作文指導に関する教師の力量に依存していることも事実です。
 したがって、この教育技術は、大村はまという優れた実践家の個性化の側面ももっているのです。まさに、水越がいう「一般化と個性化という、教育技術のデュアルな関係」があるのです。

【参考文献】
※1 水越敏行:『授業研究の方法論』:明治図書、1987年
※2 大村はま:『教えるということ』:共文社、1973年

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◇ 児童・生徒の理解と指導   ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に― ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

<3> 「カウンセリング・マインド」の負の影響

 5月号において、カウンセリング・マインドの考え方が「すべての教師にとって必要な態度であり、あらゆる教育活動の基本をなす働きかけである。」として普及・浸透してきた一方、不登校やいじめ等の問題を増大させたという主張があることを述べました。今回はその主張の代表的なものを紹介します。

 金原俊輔(2015)は「カウンセリング・マインド」が日本の教育現場に負の影響を及ぼしたとして次のように述べています※1。

「本論文では、教師のカウンセリング・マインドを『受容・共感といったカウンセリング的な態度をさす。教師と生徒との関係において教師が身につけておくことが望まれる』ものと定義し、論を進めてゆく。
 カウンセリング・マインドの語が普及するに伴い、教育現場において当該語が絶対視されるようになりだした。教師が授業を進める上でも、進路指導をおこなう上でも、カウンセリング・マインドが大事とされ、保護者と接する際にも用いられるべきものとされた。とりわけ生徒指導および教育相談への影響は強いものがあった」

「児童生徒を指導する場面で、児童生徒から相談を受ける場面で、教師はカウンセリング・マインドを所持することが奨励されるようになったのだった。児童生徒らが示した校則違反の問題には『生徒がとった行動はさておいて、その行動の背後にある動機に注目する』ありかたが勧奨された。いじめ問題に対しては『生徒に、温かい指導(カウンセリング・マインド)をしたら、かなりいじめも防止できると思う』という発想につながり、不登校問題に対しては『ロジャーズのカウンセリングの影響を強く受けていた。そのため“しばらく子どもが成長するのを待っている”“待っていればそのうちに時が来て自然に治る”“刺激しないほうがよい”という、受け身的要素が強い指導が大半を占めていた』との状況につながった」

「現在、わが国教育界において不登校児童生徒数の増加が問題となっている。原因のひとつとしてカウンセリング・マインドがあげられよう。教師たちは、あたかもカウンセラーであるかのような態度で不登校の児童生徒に接し、本人に起こり得る困難などを考慮せずに彼らの言い分を傾聴した。アドバイスをせず、登校刺激もあたえなかった。その結果、子どもたちに変化が生じなかったばかりか不登校が増加したのである。いじめ問題に関しても同様である。いじめを主導・加担した児童生徒に接する際に、教師は当人らの気持ちを考慮しながら対応し、してはならないことはどのような事情があってもしてはいけない、ということを教えるチャンスを逸してしまった。いじめられた児童生徒たちは自死を企て、場合によっては実際に自殺するという事態につながった。いじめた側も加害者として社会的制裁を受ける成り行きとなった。非行問題について述べると、カウンセリング・マインドを有する教師たちの非行少年・非行少女への対応により、万引き被害が絶えなくなった商店は赤字をだして閉店しただろうし、非行生徒らがたむろする地域の住民は夜間の外出を控えるようになったかもしれない。カウンセリング・マインドは教師が問題を起こした児童生徒に強圧的な対応をすることを避け、物わかりが良い人間として彼らと良好な関係を構築できた反面、相手にいっそうの問題が生じる結末や教師自身は会ったことがない人々に皺寄せがおよぶ展開を前提とした概念・態度であったといえる」(次号に続く)

【参考文献】
※1 金原俊輔:「カウンセリング・マインドという概念および態度が日本の生徒指導や教育相談へ与えた影響 主に問題点に関して」:長崎ウエスレヤン大学 地域総合研究所研究紀要、13巻1号、pp.1-12、2015

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◇ 教育時事アラカルト ◇

いじめ調査第三者委員会の苦悩
           教職教育開発センター教授  坂田 仰

 いじめ防止対策推進法が制定されてから5年の歳月が経過した。
 だが、いじめ自殺等、重篤ないじめ事件は今も後を絶たず、マスメディア等は同法に対する教員の理解不足を繰り返し批判している。
 いじめ防止対策推進法は、いじめ自殺等が発生した際、「同種の事態の発生の防止に資するため、速やかに、当該学校の設置者又はその設置する学校の下に組織を設け、質問票の使用その他の適切な方法により当該重大事態に係る事実関係を明確にするための調査を行う」ことを求めている(第28条第1項)。
 しかし、その調査を担う組織、いわゆる「いじめ調査第三者委員会」の在り方を巡って、各地で不協和音が生じていることは周知の事実である。

 いじめ防止対策推進法は、事実関係を明確にするため、「質問票の使用その他の適切な方法」で調査を行う旨を規定している(第28条第1項)。
 この調査は、 被害児童生徒、加害児童生徒、そして在校する他の児童生徒や教職員に対し、質問紙調査や聞き取り調査という方法を通じて行なうのが一般的である。しかし、中々思うように調査が進まず、被害者側から批判される例が増えているという。徹底して被害者側に寄り添うというのがいじめ防止対策推進法の基本姿勢であるとは言え、矢面に立つ者にとっては厳しい状況が続いている。

 ただ、調査が進展しないことについてはそれなりの理由がある。
 いじめ調査第三者委員会は、警察等の捜査機関とは異なって、強制的な手段が認められていない。調査は、あくまでも任意の協力が前提となり、例えば聞き取り調査の場に出向くことを拒否された場合、それを覆す方法は説得以外に存在しない。特に保護者は、訴訟へ発展する可能性を危惧する。この点、文部科学大臣が策定した「いじめの防止等のための基本的な方針」は、調査の性格について、「民事・刑事上の責任追及やその他の争訟等への対応を直接の目的とするものでない」としている。
 だが、いじめ裁判において、いじめ調査第三者委員会の報告書が証拠として申請される例は後を絶たない。この動きを規制しない限り、「いじめの防止等のための基本的な方針」は絵に描いた餅と言えよう。

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