1906(明治39)年、日本女子大学校(現在の日本女子大学)家政学部を卒業。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。」と平塚らいてうの書き出しで創刊した『青鞜』(1911・9~1916・2)は、初の女性だけの手による女性のための文芸雑誌で、女性解放運動の原点となりました。全国津々浦々から延べ160人の女性が参加し、女を抑圧し拘束する家父長的家制度や伝統的な結婚制度に反逆し、自由と解放を求める女たちの苦渋に満ちた生の様相がさまざまに表現されました。『青鞜』にはまた、多くの日本女子大学校同窓生が参加しました。
母性保護論争を経て、1920年3月、「新婦人協会」を組織し母性の権利確立のための社会運動に乗り出しました。そして国会請願運動の結果、1922年2月、女性の政談集会への参加および発起が認められることになりました。戦前の日本では、女性の政治的権利獲得に成功した唯一の例になります。この後、消費組合運動を実践し、戦後は平和運動のオピニオンリーダーとして影響を与えました。
「平塚らいてう賞」は「平塚らいてうの記録映画を上映する会」のご芳志をもとに、平塚らいてう氏(日本女子大学校3回生)の大学卒業100年を記念して2005年に創設されました。
「平塚らいてう賞」は、男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する研究や活動に光を当てること、ならびに若い世代に対して平塚らいてう氏の遺志を継承していくことを目的としています。
本賞は、
のいずれかについて、研究を行う個人または団体に対して授与いたします。
*下記(1)(2)とも自薦他薦を問いません