お墓のない国
今時、街路に信号機がなく、広告塔や看板がなく、おまけに人を葬るお墓まで無い国があるなんて、私はこの歳になるまで、いやこの夏になるまで知らなかった。
世界の最高峰エベレストをはじめとする高い山々が連なるヒマラヤ山脈の東部に位置するブータンがそれだ。人口は百万程度、首都ティンプーでさえ七万程度の人しか住んでいないという小さな国だが、最近、新聞やテレビなどで話題になることが多くなった。それは、隣国のネパールが経対壬制に対する国民の反発が大きくなり、ついに壬制が廃止されて、国壬一家が海外に亡命することになったのにくらべ、ブータンでは前国王の英断で民主化を進め、総選挙を行い、憲法を改正し、国王の 権限を議会に移譲した結果、王室が国民の支持を得ることに成功したこと、それを、人々の服装が日本の着物によく似ていることや、手つかずの美しい自然環境に恵まれていることなどによるものと思われる。つい先年、日本の皇太子殿下もこの国を訪問されている。
じつはブータンはごく最近まで鎖国をしていて、外国とのつきあいを拒絶していた。もちろん旅行者の受け入れも許可していない。それが開国に踏み切ったのは、これも世界の状勢を 観ての前国王の判断だったのだろう。日本でも百五十年くらい前までは鎖国をしていた経験があるので、これからのブータンの変化が大いに気になるところだ。
まだ信号機も広告看板もないが、自動車や携帯電話はすでに輸入され、バス線路も開設されて、学生やサラリーマンの足になっている。しかし道路の真中 で犬がのんびりと昼寝をしている様子から見ても、自家用車の普及は進んでいるとは思えない。
中でも一番私が文化ショックを受けたのは、この国のどこにもお墓がないことだった。お寺は沢山あるし、そのいずれもが立派である。ブータンは仏教国であるにもかかわらず、墓地がまったく存在しないことに驚いた。
日本ではこれは考えられないことだ。私は長男で一人息子、女房は一人娘で、結婚するとき多いに悩んだ。つまり、どちらのお墓へわれわれは入ったらいいかという問題である。もうすぐあの世へ往くというと年齢になっているのだ。いまだにはっきりとした結論は立てていない。
私の知人の奥さんなどは、死んだら絶対にご主人のお墓へは入らないと言っている。仲の悪かったお姑さんがすでにそこに眠っているからだ。
また東京などでお墓を探すとなると、何百万ものお金が必要だが、それでも一家にとって自分たちのお墓はどうしても用意せざるを得ない。
ではブータンでは、なぜお墓がないのかというと、それは人が死ぬとまず火葬にして、遺骨や遺灰は河に流してしまうからだ。そして魂は、生前の行いによって天国行ったり地獄に落ちたり、或いは人間に再び生まれ変わったり犬や馬になったりする。つまり、人は死ぬと転廻転生、六道を経巡(へめぐ)ることになるから、遺体そのものは蝉の脱殻(ぬけがら)のようなものであって、必要がなくなるのだ。
私が対面した家では、それほど裕福でもないのに、六畳くらいの広い仏間があり、立派な仏壇があったが、そこに祀られているのは仏様だけで、面談や家族の位牌や写真などは一切なかった。葬式はもちろんやるが法事は一周忌まで、それ以降は忘れてしまうのだという。
いつまでも両親や先祖の供養を続ける日本人にとっては、まことに奇妙なことに思えるが、生死感の違いによってはこのようなことも起こり得るのだろう。
そういえば七十年以上の昔、祖母から悪いことをするとその人は地獄へおちて針の山へ登らされたり、釜ゆでになる話を聞いて震え上がったものだが、ブータンの人たちは、これから外国文化の影響を受けて、どのように変わって行くのだろうか。
二十年、三十年後を見届けたい気もするが、恐らくその頃は、こちらがすでに墓の中でのんびり眠っていることだろう。
目白会の活動につきましては、いつも温かいご理解を賜りまして心より感謝いたしております。本会は昭和41(1966)年の発足以来、すでに42年の歳月を数えるにいたりましたが、この間、日本女子大学並びに会員各位の絶大なるご協力を得まして、はなはだ微力ながら、学園の応援団的な役割を果して参りました。
目白会の会員は、本学園の卒業生のご父母とそれにご縁のある方々によって構成されておりますが、こうした会の存在自体、実は日本はおろか世界でもほとんど例をみないといわれております。
普通、子供たちがその学校を卒業すると、親たちは感謝こそすれ、それ以上積極的に学校の支援活動を組織的に行うことは無いのですが、本学園にあっては、そのごく稀なことが現実に行われているということは、やはりそれだけの魅力がこの学園に備わっているということではないでしょうか。
学園は学問を教え、種々の資格を与えるだけでなく、もっと強い人間的、家族的な愛の絆を深めるという点において、昔から優れた特徴を持っていると思います。
目白会の四十有余年の歴史は、結局その優れた伝統の反映であって、今年もまた更に活溌な活動を展開して参りたいと存じております。
何卒、今後ともご支援ご協力のほどをお願い申し上げます。
「目白会だより第51号」より
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